2018年09月の霊想



   心あたたまる教会(9月2日)


 日本には2万7千もの温泉の源泉があり、簡単に豊富なお湯を得られるという恵まれた環境にあります。その歴史は古く、古事記などの歴史書にも温泉入浴に関する記述があり、その後も脈々と現在まで入浴習慣が続いています。
 私たちの教会を「温泉教会」と呼んだ方がおられます。なぜなら、神の言葉によって体の芯からあたたまり、傷ついた奥深い心が少しずついやされていくからです。さらに、教会に集う人たちとの交わりにより、心がぬくもりで満ちるのです。様々な悩みや問題を持った方が集うことがありますが、どのような人でも歓迎される教会です。
 たとえ地上では、近くに親兄弟や親戚がおらず、天涯孤独であったとしても、あなたには神の兄弟姉妹、すなわち、神の家族が備えられています。そして神の家族が助け合い、支え合っていく、これが教会の使命です。
 
 わたし(イエス・キリスト)があなたがたを愛したよ うに、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ15・12)



 (9月9日)


 1997年2月、アラスカ州で起きた高校銃乱射事件で、ロドニー・トーマス氏は息子のジョシュを失いました。加害者は同じ高校に通う少年でした。
 事件の多くの被害者が「愛する人の命を奪った者はその命で償ってほしい」と要求するのに対し、トーマス氏は加害者に「もし、息子が君をいじめていたとしたら、申し訳なかった。」と逆に謝罪し、聖書を手渡したのです。裁判を傍聴に来ていた人々はその言葉に驚愕した、とニュースは伝えます。
 ゆるせないことによって損失を被るのは、加害者ではなく自分である、と理解はできても、それを身体に、生活に落とし込むことは何とむずかしいことでしょう。
 しかし、クリスチャンにとって、イエス様が私の罪のために死なれ、私はゆるされた存在であることに思いをめぐらす時、誰もが神の国の大使として、トーマス氏のような歩みができるのです。
 今週も、すでにゆるされている存在であることに感謝し、そこに希望をおいて前進しましょう。
「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、…わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。…わたしたちはキリストの使者なのである。」(Ⅱコリント5・19~20)





 人生、これから(9月16日)

 伊能忠敬は日本地図を作ったことで有名です。49歳で長男に家督を譲るまで家業の商家の発展に励み、隠居となった後、天文暦学を志し、全国測量の旅に出たのは55歳の時でした。当時の寿命が50歳でしたから、最晩年での挑戦です。
伊能が作り上げた日本地図は、現代私たちが目にしている地図と大差なく、その精度の高さに外国人が大変驚いたほどです。
 日野原先生が始められた新老人の会は「創(はじ)めること」をモットーに掲げています。もし、長年しようと思って考えてきたこと、少し始めては途中で終わってしまったことなどがあるのなら、今あなたが何歳でも、どのような立場にあっても、伊能忠敬のように、もう一度、新しいことにチャレンジするのです。そして、それは「今」です。
 聖書は「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」(Ⅱコリント4・16)と語ります。年を経ても、聖霊様によって内なる人が日々新しくされて歩む人生に「老年」はありません。
 あなたの新しい一日がまた始まります。今週、あなたにとって主と共に何かにチャレンジする一週間でありますように。




 礼拝への心の備え(9月23日)

 大学の裏口入学のことがニュースで話題となっています。あなたは礼拝堂に入る時、もちろん玄関からお入りになったことでしょう。
 「玄関」とは、鎌倉時代に日本に伝わった仏教用語です。「悟りの境地に至る大切な関所」という意味です。
 聖日礼拝を厳守なさるあなたが、一週間の感謝を携えて教会にいらっしゃる時、心新たにされ、新鮮な恵みをいただくための心備えをする場所が玄関です。
 教会は、玄関を入ってすぐ礼拝堂ではなく、しばし距離があります。それは、あなたの思いを整えるために備えられています。礼拝堂に入ると、つい、親しい人に声をかけ、「あら、お元気」などと語りがちですが、神の家に来られたあなたの、横ではなく天を見上げる姿勢が霊的雰囲気をかもし出します。定刻前に席に着き、その日の聖書箇所をじっくり何度もお読みになる方がおられますが、祝福と恵みが増し加えられている大切な時となります。
 讃美歌を歌い、聖書を読み、祈ること、あるいは、説教を聞くことは各々大切です。しかし、何よりも大切なことは、あなたご自身の心の備えであり、その備えこそが、あなたの未来をさらに豊かにするのです。




 本物を見抜く(9月30日)

 17世紀のオランダ絵画の黄金期を代表するレンブラントが、1634年前後に描いたと思われる絵が2016年に見つかりました。作品は、英貴族の家で6代にわたり保有されていましたが、オークションに出された時、そこにいた美術商が一目でレンブラントの作品と気づいたそうです。
 レンブラントの作品が本物であるかどうか、複数の専門家が1年半かけて鑑定をし、本物であったことが確かめられました。どんなに時間をかけて調べても、またどの様な最新の方法によって確認したとしても、それが本物であれば、それらの検査に耐えうることができるのです。
 イエス・キリストが公に宣教を始められた時、先駆者として現れたバプテスマのヨハネは、すぐにイエスがどのような方であるかを見抜くことができました。
「(ヨハネは)イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、『見よ、神の小羊』。」(ヨハネ1・36)
 イエス・キリストは、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われ、ご自身が真の神であることを公生涯を通して実証されました。キリストはいつまでも変わることはなく、私たちと共におられます。今週も、そのイエス・キリストを信頼し、歩んでいきましょう。