2002年08月の霊想

  家屋は石で、家庭は愛で (8月4日)

 阪神大震災では、一瞬の揺れで五五〇二名の尊い命が失われました。八〇%は家の倒壊によるものであり、残りの二〇%は火事によってでした。しかし、その二〇%の方々も、実は、家の下敷きになり、逃げられなかったのが原因と言われています。「地震は天災」と言われますが、日本の住宅に問題があったのであれば、まさに、これは人災ではないか、という意見もあるほどです。
 この事実は、しっかりした家を建て上げることが、いざという時にどんなに大切かを私たちに語りかけます。しかし、今日それ以上に深刻な問題は、柱で建てる「家屋」ではなく、「家庭」のもろさです。
 人生には様々な問題があります。時には、大黒柱のご主人がリストラにあったり、家族の誰かが重い病気にかかるなど、家庭を揺るがす出来事はいつやって来るかわかりません。では、どのような大きな揺れにも動じない確かな家庭作りとは何でしょうか。
 「家屋は石で、家庭は愛で建てる」ということわざがあります。一人一人が自立し、引き算、わり算ではなく足し算、かけ算の相互補完の家庭作りこそ、この時代、そして、これからの時代、最も大切なことです。その自立とは、神と共に生き、神の言葉に自分の人生をしっかり据えることに他なりません。

  有限と無限 (8月11日)

 無尽蔵の神様の祝福を、限りある、小さな存在である私たちの世界に取り込み、それを味わい、活かし、さらに増殖できることは、クリスチャンの喜びであり特権です。どのような状況にあっても生きがいを見いだすことができるのは、小さな私たちが、祈りによってこの永遠の豊かさと結ばれ、深い交わりを持つことができるからです。有限と無限、この相反するものが一つとなり、そこに芳しい香りが放たれるのです。
 スペースシャトル『ディスカバリー』に搭乗なさった向井千秋さんは、スペースシャトルから「宙返り、何度もできる無重力」と上の句を読みました。それに対し、十四万人もの方々が下の句に挑戦しました。その中の一編は、「湯船でくるり、わが子の宇宙」でした。
  「宙返り 何度もできる 無重力
      湯船でくるり わが子の宇宙」
 広い宇宙での宙返り、一方、小さな湯船でくるりと回る世界。対照的な出来事が一対となって、見事な短歌の世界を生みだしています。
 私たちの人生にも、神様の豊かさが、日々の生活の中でしっかりと消化され、生かされていることは何と素晴らしいことでしょう。
 今週も、主と共に前進してまいりましょう。

  神にある人生 (8月18日)

 毎日の歩みの中で、試練に立ち向かい、じっと問題点を凝視することもあります。また、物事が順調に進み、「もう、これで死んでも良い」と思うほど充足することもあるでしょう。
 石川啄木はそんな私たちの人生を、次のように、二通り歌いました。

 「はたらけど はたらけど 猶わが生活 
        楽にならざり ぢっと手を見る」
 「こころよく 我にはたらく 仕事あれ 
        それを仕遂げて 死なむと思ふ」

 人生は、晴れの日が良く、曇りや雨の日、さらには嵐は最悪、というものではありません。すべてを造られ、すべての事を相働きて益としてくださる神と交わりを生きる人生は、どのような状況にあっても、喜びと感謝の歌が湧き上がる人生です。試練の時には試練の時のように、順境の時は順境の時のように、その折々にしか聞けない神様からのメッセージを聞き、その神にある現在を生き、試練のただ中で喜びを見いだすことができるのです。この生き方こそ、どのような状況にあっても、人生の歌を詠むことができるのです。

  本物を味わうために (8月25日)

 楽しく過ごすことができ、苦しみのないことが理想の人生だとお思いですか。主の祈りで「試みに会わせず、悪より救い出したまえ」と私たちが祈るように、生かされている現実は、試練、ストレスに満ちています。
 しかし、試練やストレスがなくなると幸せになるのではなく、それを受け入れ、立ち向かい、乗り越えるところに真の幸せがあるのではないでしょうか。
 米国のカリフォルニア大学バークレー校でアメーバーの実験をしました。アメーバーを、まったくストレスのない完璧な環境に置き、適度な温度・湿度の中、充分な栄養を与えました。アメーバーがどのようになったと思われますか。増殖したと思われるでしょうか。この時、アメーバーは、全部死んでしまったのです。
 本当の幸せ、満ち足りた人生とは、その人に与えられた試練から逃げたり、それを避けたりすることではありません。むしろ、試練に立ち向かい、乗り越えて生きる時に、本物の人生を味わうことができるのです。
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去る ことではなく、彼らを悪しき者から守って下さ  ることであります。わたしが世のものでないよう に、彼らも世のものではありません」
(ヨハネ17・15~16)

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