2004年04月の霊想
聖書の秘密 (4月4日)
S兄はアメリカ在住26年。商社マンとして働いておられましたが、やがて独立なさり、アメリカで事業に成功を収められました。さらにビジネスを拡大しつつ、今は多くの若者たちを育てていらっしゃいます。
その成功の秘密は何か、との問いに対し、「いつも自分の利益ではなく相手のことを考え、対応してきたことです」と言われました。
S兄は商社マン時代、その有能さのゆえに、ユダヤ人からの強烈なヘッドハンティングに遭いながらも、それを受けず、逆に、先方の従業員Aさんが独立を志していることを知り、そのために惜しみない労を尽くされました。やがてAさんは独立され、巨大な事業を建て上げられたのです。不思議なことに、Aさんにはその事業を引き継ぐ方がおられないという理由で、事業をそっくりS兄の息子さんに差し上げる、という申し出をなさいました。今、息子さんご夫妻は、アメリカ東海岸で、その働きを始めておられます。
まさに、驚くべき出来事です。
Sさんの生き方は、まさに、「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20・35)のみ言葉を生きている証人です。
今週も、心して、み言葉に生きてまいりましょう。 |
失望できる望み (4月11日)
長年、人との関わりを果たしてこられたAさんが、しみじみとおっしゃいました。「自分には、いかに人の心を十分に理解できないか、忍耐深く寄り添うことができないか、ということを知らされた」と。
何とすばらしいことでしょうか。人は、物事に挑戦してみないと、自分にできるのかできないのか、また、その世界の奥深さを知ることはできません。仕事でも、学びでも芸術でも、すべての世界は、やればやるほど、極めれば極めるほど、真理の深さ、尊さ、すばらしさに圧倒され、自分の小ささを知るものです。
自分が不十分だとわかった時、人は知ろうとします。そして、問いが出てきます。そこではじめて、足下に多くの宝のあることを発見します。
日々の歩みで失望する時、それは不十分な自分を見る時ではなく、無尽蔵の祝福の世界に気づかず、目を開かなかったことに焦点を合わせる時です。我力で「やればできる」という小さな世界から、「させていただいている」という、180度の方向転換こそ、すべての世界に祝福をもたらす秘密です。
失望する時、行き詰る時、今週も、思いを地に、下に向けるのではなく、限りない天に向けて、希望の中に祝福を探し出しましょう。 |
惜しみなく与える (4月18日)
今年も桜前線が北上中です。桜の花は、なぜ、これほど日本人に愛されるのでしょう。
長い冬の眠りから呼び覚まされたように、一気に美しく咲き、一生懸命に生き、一気に散り、潔くその使命を全うする。そのような生き様を自らの生き方に重ねるからでしょう。
近年、「武士道」がブームのようです。それは、桜のように生きる生き方を、もう一度呼び起こそうとする思いからかも知れません。企業をはじめ、様々な不祥事が続く昨今。桜のような在り方、潔さが問われているからです。
今年も、満開のひとときの花を見つめつつ、あなたはどのような思いをお持ちになっておられるでしょうか。
祝福を得た人生、どのように感謝をもって生き、御国へ凱旋する朝を迎えるのか……桜の花にキリストが生きられた人生を重ね合わせ、思いを馳せたいものです。
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(ピリピ2・6~8) |
船長はあなた (4月25日)
今は不景気だから、あるいは、自分は年をとったから等、自分の人生は環境や状況に起因すると考える人がいます。もちろん、良い環境を作る惜しみない努力も大切です。しかし、「人生は環境の産物だ」と信じている限り、いつか環境によって打ちのめされることになりかねません。
どのような状況であっても、主にあって、その偉大な力により自らを新たにされ、状況を作り変えていく心意気をしっかりと養っていくことです。
人生は庭のようなもので、そこに美しい草花の種をまかなければ、やがて雑草の種が無数に落ち、雑草に占領されることになります。すぐれた園芸家は、庭を耕し、雑草を取り除き、いつも美しい草花を育てます。
私たちも、良き人生を送りたいと願うなら、自分の庭を掘り起こし、そこから、不十分なものを取り除き、今ある状況を育てることです。
また、人生を航海にたとえるならば、自分の人生の船舵は、だれが取るのでもなく、船長であるあなたが取ることにお気づきになるでしょう。
船主であり、人生を与えてくださった神様の言葉に耳を傾け、この方に祈りつつ、今週も、力強く前進してまいりましょう。 |
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