2006年10月の霊想

  能力によらず、わたし霊によるのである(ゼカリヤ4・6) (10月1日)

 財力、体力、能力など、神様から賜っている様々な力は、あなたの未来とまわりに大きな貢献を果たします。ですから、それらの力を、神に祈り、主の霊によって、すなわち、主の霊に導かれて用いることです。霊によって生きるということは、人生の船長はあなたでも、船主は主であることをしっかり覚えることです。
 しかし、うっかりすると、船長である事を忘れ、船主になってしまい、すべての物を自分の物と錯覚してしまいます。すると、そのことにしがみつきはじめ、やがて自分が積み重ねた物で自分を押しつぶしてしまうことになります。
 人生の終わりに「もっとお金を儲ければよかった」と言う人は少ないでしょう。しかし、「心豊かに生きたかった」と、人生の最後に後悔の念を持って言う人は少なからずおられるのではないでしょうか。
 心豊かに生きるために、今、与えられた一日一日を、主の霊に導かれながら生きることです。移り変わりゆくこの世の価値観に流されず、何が大切かをいつも神に問いながら、一つ一つの決断と実践をしていくことに他なりません。
 今週も心してまいりましょう。

  与えて生きる (10月8日)

 世界一の大富豪、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏は、まだ五〇歳というのに第一線から退き、奥様と共に慈善事業に尽力するというニュースを、あなたもお聞きになったと思います。
 与える人生のすばらしさを語ることはできても、実践することは決してやさしいことではありません。
 同じアメリカで、ジョン・D・ロックフェラーも、大富豪でした。しかし、ちょうど五〇歳を過ぎた頃、突然病気になり、余命一年と宣告されました。そこで彼は、お金を稼ぐ人生に別れを告げ、それからの人生、与えていくことを喜びとしていきました。一九三七年、彼がフロリダで亡くなった時には、ほとんどの財産を人々に分け与えていました。ロックフェラーは、余命一年と宣告された後、四五年も生き、彼は九八歳で天寿を全うしたのです。
 与えて生きるということに今週も思いを馳せてみたいものです。

    「また、良い行いをし、良いわざに富み、惜しみなく施
     し、人に分け与えることを喜び、こうして、真のいの
     ちを得るために、未来に備えてよい土台を自分のため
     に築き上げるように、命じなさい。」
                          (Ⅰテモテ6・18~19)

  与えることのできる小さなこ (10月15日)

 先週の霊想『与えて生きる』を読んで、大変感動したとおっしゃる方が大勢いらっしゃいました。そのお一人が、大富豪のように財は与えることはできなくても、生活の中で、小さな自分のできることを探し、実践なさったその喜びを語ってくださいました。
 それは、前向きな、ぬくもりのある言葉を人にかけて差し上げたこと。また、身近に助けを必要とする人がおられた時、たとえば、物を持ってあげたり、席を譲ったりすること。お店でも、急ぐ時にも後ろから来た人に、「お先にどうぞ」とチャンスを差し上げたことなどだそうです。それらの小さなことを実践なさったことによってご自分も潤されたと、喜々としておっしゃいました。
 「目は口ほどにものを言い」と言いますが、いつくしみの心で接することも、与えることのできるすばらしい宝です。特に、人を自分よりもすぐれた者とする、人を見下げるのではなく、人を敬うことにまさる贈り物は他には見つかりません。
 今週も、神様の愛をいつも覚えながら、あなたの生活のただ中で与える実践を心したいものです。

     「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった
      心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」
                               (ピリピ2・3)

  堅く立って動かされ (10月22日)

 スイスの精神科医で心理学者のカール・グスタフ・ユングが、アメリカのネイティブ・インディアンの村を訪ね、その村の酋長と会いました。
  その会見で、酋長の気品、崇高な人格に深く感銘し、その拠り所はどこにあるのかを知りたいと願い、ていねいに探りました。そこでわかったことは、酋長にとって最も大切なものは太陽であり、太陽がすべてのものを管轄し、その太陽との交わりが自分の使命である、と信じていることでした。
 あなたの動じない姿勢、不動の思いが日々つちかわれていくためには、「私は神の作品です。人が私を見る時に、私は神様をお証しできる。そのための大使として今日も生かされている」という一点に集中することです。
その時に、酋長の気品や確かさにまさる人生を、あなたが生きることができるのです。
 今週もこのことを深く心に留めてまいりましょう。

      「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、
       いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっ
       ては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、
       あなたがたは知っているからである」。
                            (Ⅰコリント15・58)

  神の作品の輝き  (10月28日)

 医師より期限を切られたガンと向き合っておられる教会員の方が幾人かおられます。
 その中のおひとりAさんと、先週、共に語り、祈りの時を持たせていただきました。その折、Aさんを通して聖霊様の働きを、また、Aさんの内に鮮やかにイエス様を見せていただきました。
 人は、不思議なもので、死が迫ってくると事の本質がはっきりと見えてきて、余分なものはみな削ぎ落とされていきます。若き日の煮えたぎるような欲望や、中年に至っての様々な執着からもまったく自由にされて、本物にしっかりと目を注ぐようになります。
 Aさんは、「当初、悲しみのあまり死ぬほどでした。『できることなら、どうぞ、この病を取り除いてください』と祈りました」と当時を振り返られ、「今はただ、私の思いではなく御心の思いになさってくださいと祈っています」と語られました。Aさんを通して、イエス・キリストのゲッセマネの祈りをそのまま、さり気なく、しかも確信に満ちて聞かせていただいた時、Aさんの美しさのさらに奥に、神の作品としての確信を深く見せていただきました。
 今週も、様々な出来事を通し、神の作品としてのあなたがさらに輝きますように。

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