2007年7月の霊想
静まって、わたしこそ神であることを知れ (7月1日)
田舎に暮らすAさんが体験したことです。
真冬日に停電になりました。はじめのうちは二、三時間の辛抱だと思っていました。しかし、夕方になって日も沈み、家中が真っ暗になった時、はじめて、心配になりました。いかに便利な暮らしをしていたか……コンピューターも冷蔵庫も、あいにく暖房機までもみな電化製品です。ろうそくは何本もなく、車は雪に埋もれていました。電話も通じません。抵抗することも逃げることもできず、まったくお手上げという状態でした。
はじめはかなり頭に来ました。体を動かしたとたんにろうそくまでも消えてしまい、家の中が、隅から隅まで不気味な世界に変わったからです。
しかし数時間も過ぎた頃、心持ちが変わりました。わずかなろうそくの光とその反射で輝く紙の白さの中、思いが凝縮されてきました。時間が止まったような静けさです。考えてみれば、何千年もの間、人々はこんなふうに夜を過ごしていたのです。三日目の夜、電気が点いた時は軽いめまいを覚えたほどです。物が一斉に見えてきたとたん、神秘が跡形もなく消えてしまったからです。
宝を、豊かさを見いだしにくい時代。だからこそ「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩篇46・10)のみ言葉を、今週もしっかり味わいたいものです。 |
あなたのすばらしさ (7月8日)
制服が、「個人の個性・持ち味を生かさない」として反対された時期がありました。しかし、また新たに見直されているのはなぜだと思いますか。
制服を着た時にこそ、逆に、その人の個性が鮮やかに見えてくるからです。
看護師、警察官の方など、私服の時には、むしろ、個性は見えないことが多いものです。それらの方々が制服を着る時、その仕事ぶり、その心の輝きがよく見えるのです。なぜなら、制服という型に入れても、その人の内からあふれ出て、にじみ出てくる、その人ならではの持ち味、お人柄があるからです。それが、その人の本来の個性です。
あなたも、様々な制約の中に生きておられるかもしれません。時に不自由を感じるかも知れません。しかし、み言葉と祈りの生活によって培われるあなたのすばらしさ、神の作品としての唯一無二のあなたの存在が、そこに収まりきれずにあふれ出て、今週も輝くのです。
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、
キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたした
ちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて
下さったのである。」
(エペソ2・10) |
精錬された人生 (7月15日)
女優、男優に限らず、魅力的な俳優さんの特徴は、内面から鍛えられた知性と肉体、そして、精神とがしっかり調和していることです。
与えられた才能をただ持っているだけではなく、それを感謝し、日々の生活の中で整え、鍛えていく時、その才能が内面からにじみ出てくる魅力となり、その人自身を満たします。
あなたも神の作品として、また、与えられた人生の名優として、『わたしの人生』という脚本が備えられています。折々の状況で、あなたは主役ではなく脇役だとしても、その時ならではの、折にかなった、インパクトを与える生き方ができることは、何とすばらしいことでしょう。
何よりも、自分自身が与えられた状況、人生に感謝でき、満足できる生き方をするためには、しっかりみ言葉に根ざし、「どんなことも神様からのプレゼント」と感謝して生きるのです。その生き方を通して、内面が鍛えられ、整えられ、精錬された「人生」が、あなたの魅力となり、ほとばしり出てくるのです。
今週も、神様から与えられた、あなたにしかできない役割を心いっぱい生きていきましょう。 |
目標を目指して (7月22日)
目標を成し遂げるためには、それ相応の試練が伴います。苦労しないでできることは、目標にするまでもありません。困難なこと、苦しいことを避けることが癖になってしまうと、成功体験を味わうことに欠き、時に負け癖がついてしまいます。
いつも目標が具体的で、その目標に向かって計画性のある生き方を習慣化したいものです。
よく学び、働き、努力し、挑戦するという生き方が見失われている時代です。物事を考えたり、判断するための物差しが【快・不快】【得か・損か】などと短絡的になりがちな昨今です。だからこそ、祈り、その中から目標が与えられ、主と共に目標を目指して歩む人にとって最大のチャンスでもあります。
今週も目標を目指しつつ……。
兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。
ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前の
ものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリ
スト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努め
ているのである。
(ピリピ三・十三~十四) |
当たり前のことを (7月29日)
人生の極意は『当たり前のことを、当たり前に行うこと』に尽きます。
身近に、時間に非常に几帳面なAさんがおられます。
「Aさんは何時に戻りますか」
と受付の人に問うと、
「夜八時に戻るとボードに書いてあります」
と返事が返ってきます。この情報はいつも正確です。Aさんは、一分でも遅れると思う時には必ず受付に電話を入れるからです。
Aさんによると、そのように几帳面に連絡してもしなくても、ほとんど支障がないとのことですが、五〇回に一回の割合で、遅れることを伝えたことで急の出来事や来客に失礼にならず、対応ができた例を挙げてくださいました。
「当たり前のこと」は、この五〇回に一回のために行うのであり、残り四九回は無駄と思えますが、その積み重ねがその人の信頼となり、成功への大切な土台となるようです。今週も、当たり前のことを当たり前に。
「主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。
あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのも
のを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』」
(マタイ二五・二一) |
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