キリストにある確かさ (2月3日)
二一歳の時、私は、東京にある浅草橋教会の伝道師として伝道者の生涯をスタートしました。
当時の浅草橋教会の牧師は、日本の教誨師会長もなさった泉田精一先生でした。そのため、泉田先生に付いて刑務所を訪問させていただきました。
その貴重な体験の中で、泉田先生が担当なさった死刑囚、島秋人(本名・千葉覚)氏への、日頃の伝道牧会の様子を忘れることができません。
島秋人さんは泉田先生を通して信仰をお持ちになり、主イエス様を受け入れました。島秋人さんは、死刑判決後、中学生時代の担任教師から短歌を贈られたことをきっかけに短歌を詠みはじめられ、日々詠む短歌も、幾度も入選するほどのすばらしい歌を数々残されました。
やがて時が来て、もう後のない、いよいよ天国へ旅立つ日に、泉田先生に宛てて次の句を残されました。
この澄める心在るとは識らず来て死刑の明日に迫る夜温し。
罪悔い改め、キリストにある平安の確かさがにじみ出てきます。
「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平
安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が
与えるようなものとは異なる。」 (ヨハネ14・27) |