2008年2月の霊想

  キリストにある確かさ  (2月3日)

 二一歳の時、私は、東京にある浅草橋教会の伝道師として伝道者の生涯をスタートしました。
 当時の浅草橋教会の牧師は、日本の教誨師会長もなさった泉田精一先生でした。そのため、泉田先生に付いて刑務所を訪問させていただきました。
 その貴重な体験の中で、泉田先生が担当なさった死刑囚、島秋人(本名・千葉覚)氏への、日頃の伝道牧会の様子を忘れることができません。
 島秋人さんは泉田先生を通して信仰をお持ちになり、主イエス様を受け入れました。島秋人さんは、死刑判決後、中学生時代の担任教師から短歌を贈られたことをきっかけに短歌を詠みはじめられ、日々詠む短歌も、幾度も入選するほどのすばらしい歌を数々残されました。
 やがて時が来て、もう後のない、いよいよ天国へ旅立つ日に、泉田先生に宛てて次の句を残されました。

    この澄める心在るとは識らず来て死刑の明日に迫る夜温し。

罪悔い改め、キリストにある平安の確かさがにじみ出てきます。

    「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平
     安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が
     与えるようなものとは異なる。」 (ヨハネ14・27)

  本質に目をとめて  (2月10日)

 世界には、日々お腹いっぱい食べることのできない人が三分の二もいるというのに、飽食の時代、飽食の日本です。
 賞味期限改ざんなどの問題がくり返し起きている日本です。これらのニュースを耳にする時、改ざんを決して良しとするのではありませんが、多少味は落ちても、十分食べることのできる物を捨てる我が国を思います。あるお店では、儲けたいからではなく、ただ「もったいない」と心から思い、賞味期限の切れている物を一日延ばして売ったことがニュースになりました。
 何か、問題の本質がすり替えられているように思えてなりません。
 儲けたいことが目的でごまかすことは、自己中心的であり、言語道断です。ただ、また別な視点から、「物を大切にする」という本質的なことを忘れてしまうと、本当は大切なものが、どんどん捨てられていくような気がします。
 かつての減反政策で、丹誠込めて植えた稲を青いうちに刈り取る農業従事者から、「自分の命を刈っているようだ」と伺ったことがあります。
 現象面だけで物事を見るのではなく、本質を忘れないようにしていきたいものです。

  二つの質問  (2月17日)

 人間関係をスムーズにするコツは、質問上手に限ります。
 ご家庭で、あるいは会社で、相手に良き助言をしたい、あるいは、相手の成長を願う時、あなたはどのような質問をなさいますか。
 例えば、あなたが営業主任で、部下にさらに頑張ってもらいたい時、「今日も営業に出るだろうね」と聞きますか。良き人間関係を心しているあなたは、きっと「今日は何件くらい回る予定」「何件くらいなら取れそう」と尋ねることでしょう。質問する時は、いつも相手が主役です。「なぜできなかったの」ではなく、「どのようにしたらできると思う」と前向き、建設的に聞くことが秘訣です。
 子どもに対しても、「○○点は頑張れよ」と叱咤激励することは効果が薄いものです。また、「何で半分しかできなかったの」ではなく、「半分も取れた。半分以下 もあったでしょうに、すごいね」と、いつも、光の方を向いて尋ねることです。
 あなたの問いで、相手の方は宝を掘り起こします。質問の中にすでに宝があるからです。
 今週も、あなた自らに、また、他者に、問う質問の言葉を吟味してみましょう。

  キリストに倣(なら)って  (2月24日)

 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也」というすさまじい言葉を語った人がいます。明治維新実現の功労者、西郷隆盛です。
 しかし、彼はすぐこの後に、「この仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
されども、かようの人は凡俗の目には見えられぬぞ」と続けています。
 西郷隆盛が語ったような人がいない、とあきらめるのではなく、確かにこのように生きた、唯一の真の人、キリストを手本にしながら、しっかりと前進したいものです。トマス・ア・ケンピスが著した本のタイトルのように、『キリストに倣(なら)いて』進んでいきたいものです。
 しかし凡人の私たちは、つい、人に喜ばれることにのみ心を奪われがちになります。その時は、「今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。」(ガラテヤ1・10)
このみ言葉のパウロように、今週も、聖霊様によって、「肉の思いではなく、霊の人へとつちかってください」と祈りつつ、さらに一歩前進いたしましょう。

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