2017年5月の霊想

  信仰生活とは(5月7日)

 本を読む時、始めから終わりへと進みますが、信仰生活はその逆です。
大工さんでも、美容師さんでも、結果を先に描いて完成に至らせます。何の設計図もなく、ヘアスタイルのイメージもない中で事を進める人はいません。必ず、大工さんなら設計図通りに建設し、美容師さんならヘアスタイルの最終イメージを描いてからはさみを入れます。人生も信仰生活もまったく同じです。神様があなたの心に示してくださったことをしっかりと心に留め、日々思い描き、そこに向かって祈りつつ歩むのです。
しかし、何とはなしに漠然と「最善が成る」と思う習慣が出てしまうことがあります。確かに、「人生、何とかなる」との良寛さんのような生き方も一つの生き方です。しかし、それは確かな目的があってこそのひと言です。
今週、あなたの歩みの一つ一つが主にあって明確に完成されていることを宣言し、思い描き、実際に行動しましょう。

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。(ピリピ2・13)

  礼 拝(5月14日)

 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。(ヨハネ4・24)
日曜礼拝は100%主に思いを向ける時です。ですから、礼拝での証しや特別賛美に対して、拍手を割愛することが少しずつ定着しつつあることはすばらしいことです。
社会一般の集いであれば、互いに励まし合い、称賛し合うことは自然のことです。しかし、礼拝では主のみを見上げ、主にすべてをお献げし、主を賛美することです。礼拝で得た恵みとエネルギーで、遣わされた家庭や職場、学校、地域において、誰よりも率先して惜しみなく相手を称賛する、すなわち、礼拝で神様からいただいた恵みを生活の中で実践できることは、クリスチャンの特権です。
「ねばならない」という在り方はクリスチャンの意図するところではありませんが、主にある者として、あるべき姿の恵み、その深みをよく理解し、実践できることは何と大きな喜びでしょう。
神様を知らない人々に、あなたのさり気ない振る舞いを通して恵みをお分かちし、味わっていただくことができるすばらしい一週間としましょう。

  万事が益となる(5月21日)

 人間は将来を確実に当てることはできません。しかしたとえ先に何が起こるかわからないとしても、創造主なる神はすべてに最善をなしてくださることを私たちに教えて下さいます。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(ローマ8・28)
中国の古い書物「准南(えなん)子(じ)」に「人間(じんかん)万事塞翁が馬」という言葉があります。「人間(じんかん)」とは世間という意味で、「塞翁(さいおう)」とは城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。「昔、中国の北方の塞(とりで)近くに住む老人(塞翁)の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)、禍から福へと人生にもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである」という意味です。
人間の目から禍としか見えなかったとしても、神様の目からは「すべてが祝福」としか見えないのです。神様が万事を益となるようにしてくださることを、私たちは知るのです。
今置かれているところで神様の最善を期待しつつ、歩んでまいりましょう。

  私の名前はヒラタです(5月28日)

 人生の歩み、3つのステップです。

① ヒ・悲観を生きる
練習したことも学んだこともないはずなのに、消極的、否定的、悲観的になりがちです。触れたこともないのに、なぜ悲観的に、と思いますが、心は地上の庭と同じで、悲観の雑草は育てなくても生えてくるのです。消極的、否定的な自分を見据え、次の楽観の世界に入学したいものです。

② ラ・楽観を生きる
物事を前向きに受け止め、言葉も肯定語に変え、思いも光を向く。この世界は、練習し、意識すると、誰でも必ず得ることのできる世界です。そのように生きている人を真似たり、前向きな書物に触れたり、何よりも、そのような祈りがあなたをこの世界へと招きます。

③ タ・達観を生きる
悲観・楽観という右・左二つの世界ではなく、どちらも越えた世界が信仰に生きる達観の世界です。私たちはこうなりたいと願い、それを達成することを喜びとしますが、願っても叶わないこともあります。達観の世界は、パウロが「わたしは貧に処する道を知っており、富におる道も知っている。」(ピリピ4・12)と、どちらも大丈夫と語ったように、状況にとらわれない自由な世界です。この達観の世界こそ、御言葉によって養われ、祈りの生活を送るあなたへの天からの贈り物です。

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