2017年10月の霊想

  羊が羊を産む(10月1日)

 聖書では、伝道者・牧師を「羊飼い」、信徒を「羊」と呼んでいます。
著名な神学者エミール・ブルンナーは、日本の教会について次のように評しました。「なぜ、日本のクリスチャンは人口の1%の域を脱し得ないか、一つの見方として、羊を産むのは羊なのに、日本は、羊飼いが羊を産むという不思議な国だ」と。プロテスタント教会の教派(宗派)では、牧師と信徒は同列で、牧師のいない群れもありますが、「牧師と信徒」という形が一般的です。
米沢興譲教会とその仲間の特徴として、「羊が羊を産む」というあるべき姿が定着しています。あなた自身が教会に来られたことを顧みてもおわかりでしょう。
私たちの仲間の関西ジョイフルチャーチの方々は、牧者である高木先生が米沢の働きに専心することを知った時、寂しい思いを持つのではなく、「教会の担い手は私たち」と思いを一つにされました。そして先日、大挙して米沢で礼拝を守り、夜の集会で奉仕をされ、月曜日、関西に戻られました。日曜夜の集会は大勢の人が集い、大変大きな励ましを受けました。
関西の方々が「羊が羊を産む」という教会の真の姿を見える形で表されたことに共感し、集われた人が「私もそうありたい」と心を確かにしたひとときでした。

  素直な反応(10月8日)

 あるご婦人が「電車の中で出会ったかわいい女の子に『いくつ?』と尋ねると『3歳よ。おばちゃんは?』と言われた。聞き返されると思っていなかったので慌ててしまった。それ以降、子どもに年齢を聞くのはやめた。」
と新聞に投稿しておられました。これを読んで、子どもはなんと素直で、思ったことをすぐに言えるのだろうと感心しました。
ある時、イエスがエリコという町に入って行くと、ひと目でもイエスを見たいと思って木に登っていた人がいました。ザアカイという取税人のかしらです。イエスは彼に、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」と言いました。すると、ザアカイは急いでおりてきて、喜んで家に迎え入れました。彼の心に触れたイエスの対応に、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」と、ザアカイ自ら素直に応答しました(ルカ19・1~10)。
大人になると、人は損得や他者からの評価を気にし過ぎて、人間関係をスムーズにしていくことができなくなります。しかし、幼な子のように、神の前に素直に反応する生き方を身に付けていきたいものです。

  対応できる実体(10月15日)

 不安や試練のただ中にある人に出会った時、あなたの在り方一つが方向性を決定します。相手の不安に引き込まれるのか、すなわち反応するのか、あなたの確かさで良き対応ができるのか……。クリスチャンの特権は、良き対応ができることです。
今春、タクシー運転手の藤原さん(66歳)は、姫路市の路上で乗せた男性客(25歳)に髪の毛を掴まれ、刃物を突きつけられて「金を出せ」と脅されました。藤原さんは「未来に満ちたあなたが、このようなことをしないほうがよい」と、興奮している乗客に対し落ち着きをもって接しました。男は、金がなく、食べ物も寝る場所もないことを打ち明け、心情を吐露(とろ)しました。藤原さんはファミリーレストランで男に食事を提供し、仕事に戻りました。その時、男は「ごめんなさい」と深く頭を下げました。藤原さんは警察に通報しませんでしたが、男は、その日午後2時半、交番に自首しました。懲役1年6ヵ月の求刑を受けましたが、男は藤原さんの深い愛に接し、「どんなことがあっても人生をやり直して、藤原さんのような人生を自分も生きたい」と決意したのです。
このようなドラマチックな出来事ではなくても、私たちは小さな迷惑に出会います。今週も、神の愛に満たされつつ、あなたの生活の中で神の実体を人々に示していくことができることは、何とすばらしいことでしょう。

  心の中で生きている(10月22日)

 インド東部コルカタを拠点に、貧しい人たちの救済活動に生涯をささげたマザー・テレサが死去して20年になります。その遺志が、「この世で最大の不幸は自分が誰からも必要とされていないと感じること」というマザーの思いと共に今も多くの人に受け継がれています。
「死を待つ人の家」には、行き倒れとなった路上生活者や重病人ら約120人が暮らしています。そこには今も毎日50人ほどのボランティアが世界中から訪れます。1時間だけという人もいれば、数か月間続ける人もいます。繰り返しやって来る人も少なくありません。マザーは「大切なのは、どれだけ多くのことをしたかではない。それをするのに、どれだけの愛を込めたかだ」とも語っています。
「愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまでも絶えることがない。」(Ⅰコリント13・4~8)
キリストの十字架の愛は、今でも全世界中の人の心に真の愛を与え続けているのです。あなたも、その愛をお分かちする1週間としましょう。

  ガンバレと言われるとつらい(10月29日)

 「ガンバレと言われるとつらい」との相談に対し、あなたはどのような対応をなさいますか。きっと、あれこれ語る前に、そのつらさをあたたかく包み込むようにお聞きになるでしょう。その後の方向性、的外れのないあなたの人生の道案内が、相手の人生を決定します。
頑張ることがつらい人の中には、怠惰やなまけ者ではない人がおられます。鳥が海中で泳ぐように、魚が空を飛ぶように、できなことに挑戦することが頑張ることである、と思っている人が多くいらっしゃいます。できることをしても何の価値もない、できないことに挑戦することに意義がある…これは一面の真理ですが、この考えの餌食になっているのです。
大工道具にはのこぎり、かんな、かなづち等ありますが、のこぎりはかんなの役をなさず、かんなはかなづちの役をなしません。目的に添って用いることが各々の道具の本分だからです。同様に、現代は、発達障害、アスペルガーなどは病気や不十分さではなく、一つの性格・個性ととらえる時代です。あなたにしかできない、あなたならではの挑戦、頑張りは、健康的であり、やがて楽しみの域に達します
自分を知り自分を生かす、健康な頑張りの一週間を歩みましょう。

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