2024年5月の霊想

決めの妙手(5月5日)

「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ16:33)

 将棋には、好手、強手、疑問手等、指し手を評価する名前がありますが、その中に「妙手」と呼ばれる手があります。相手に「嫌な手筋」を予感させ、だんだん「わけがわからない状態」にさせる手です。サタンの妙手に対して私たちが繰り出す最終的な決めの妙手が今日の聖句です。

 イエス様は、はっきりと、人生に悩みはつきものだと告知しておられます。その悩みの中で勇気を出せと命じられながら、どこからも勇気が湧いてこない場合はどうしたらいいのでしょう。勇気の源は、すでに勝利を収めたと宣言されるイエス・キリストです。目の前の現実ではどこにも「大丈夫」という根拠が見当たりません。しかし、クリスチャンは勝利者であるイエス・キリストと共に、最終的には勝っているのだという遠い未来を思い描きます。そして、浮かれることなく、足元はベストを尽くし、諦めずにチャレンジを続けていくのです。

 この未来と現実という両輪をバランスよく使っていく時、あなたの人生は確実に前へ進んで行きます。今週も勝利者としての新しい歩みを刻んで参りましょう。

神の国の原理(5月12日)

永遠の天国での生活を基準にし、その過程としてほんの一時期だけ地上の生涯を歩むのだ、とクリスチャンは考えます。すると、「この世のみ」、「死んだら終わり。後は無い」と考える人たちとは、意見も行動も異なってきます。

 マザー・テレサは、炊き出しをするシスターたちに必ず3つのことを実行するように諭していたそうです。

 「パンとスープボウルを渡す時には、相手の目を見て、ほほえむこと。手に触れて、ぬくもりを伝えること。そして短い言葉がけをするという三つです。それは、ロボットにはできない、人間の、他の人間に対する愛と祈りの表現です。」(『面倒だから、しよう』渡辺和子著)。

 効率を考えれば、最小のコストで栄養豊富な食物を備え、最短時間で最大人数に与える方法が正解だと思われます。しかし、人間を神が造られた最も崇高な存在とする神の国の原理は、それとは異なります。人は神の子の命を犠牲にしてでも惜しくない尊い存在。その考えに基づいて行動するとき、なんと非効率的な生き方だと批判されるかも知れません。しかし、愛とは手間暇をかけた非効率的なものです。

 何のためにそのことをするのか。神の国を仰ぎながら、今週も地上の生涯を歩んで参りましょう。

患難に耐え、常に祈る(5月19日)

「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい」(ローマ12:12)

京都のMKタクシーは業界に革命的転換をもたらした会社として有名です。会長の弟さんの青木氏はクリスチャンで、運転手の待遇の改善に努め、お客様へのサービスを徹底させました。当然業績は上がりますが、味わったのは客を取られた同業他社からの妨害です。一時は倒産寸前となり、青木氏は祈りました。「神様、こんなに良いサービスをしているのに、あなたは会社を潰されるのですか」。やがて、市民の支持とその状況がマスコミに取り上げられ、MKタクシーのサービスは広く知られるようになり、逆に会社は発展していきました。

大事なのはこの後です。良いことをし、患難に耐えて祈っていると神様が助けて下さるということはもちろんですが、神は日本のタクシー業界全体に「人にお仕えする」というサービスの概念をもたらされたのです。神は青木氏の祈りを通し、会社を救うだけでなく、実は日本全体に祝福をもたらそうとして、もっと大きな御計画を持っておられ、MKタクシーはそのために用いられたと言えます。

あなたの今日の決心が神に用いられ、大きな祝福をもたらすようになることを信じて参りましょう。

『秋の雨、春の雨』(5月26日)

日本に梅雨があるように、聖書の地イスラエルでは秋の雨と春の雨の2回が雨季です。イスラエルの農家は秋の雨が来る直前に種を蒔き、収穫直前の春の雨によって豊かな実りを得ます。

古代イスラエルはこの雨を降らせる方を正確に見極めなければならないはずでした。しかし、彼らは、安易に豊穣を約束しながら、実は何の力もない偶像の神々に向かって行きました。「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ」(ゼカリヤ10:1)との御言葉は、私たちの人生を本当に支えてくださる方は誰であるか、それを正しく見極め、その方に人生を預けなさいと私たちに語っています。

K子さんは小学生のお子さんを持つお母さんです。時が経ち、子どもが自分なりの考えを持つようになってきました。これまでの「親が子を守る」子育てからの転換点が訪れ、K子さんは神様に祈りました。すると次の御言葉が心に浮かんできました。「成長させて下さるのは、神である。」(Ⅰコリント3:6)。彼女の肩からスッと荷が降り、子どもに対するキツイ気持ちが緩やかになった気がしました。子どもが選ぶことが何であれ、その一つひとつに親である自分が寄り添い、支えていくことが自分のできる最善であることが見えてきたのです。

天から雨を降らせ、私たちの命を支える神に力と知恵を求め、成長させていただく今週としてまいりましょう。

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