神は試される(10月6日)「るつぼによって銀をためし、炉によって金をためす、人はその称賛によってためされる。」(箴言27:21)
芸能界には「一発屋」と呼ばれるタレントや芸人さんがいます。大ブレークしたその年だけテレビに引っ張りだこで、翌年からは目にしなくなります。人からの称賛を失ったその時期に芸を磨いて再登場するか、引退を選ぶのか、道は様々です。 聖書は「人の心を試みるものは主である」(箴言17:3)と語っています。それは合格と不合格を分けるための試験ではありません。金や銀を精錬して不純物を取り除き、より純粋なものにするように、神は私たちを精錬なさいます。神はその愛ゆえに、試験の時を設けられるのです。 るつぼや炉に代わる神の道具とは称賛です。物事がうまく行って人から称賛され、ちやほやされる時が、実は神が私たちの心を試す時です。ここで浮ついて傲慢になり、「忙しい中をしてやった」と思ったり、ぞんざいな口のきき方をして、頼まれごとに腰が重くなっていたら要注意です。 義務としてやっているのか、神の恵みへの感謝からさせていただいているのか。この点がチェックポイントです。思い当たったら、今すぐに改善しましょう。神はあなたの悔い改めを待っておられます。 |
ノーベルの選択(10月13日)「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」(詩篇1:1)
アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトの発明により巨万の富を得ました。ノーベルの名を取って、人類への最大の恩恵をもたらした人々に与えられる賞としてのノーベル賞はあまりにも有名ですが、そのきっかけとなったのは、ある新聞の心ない誤報でした。 彼の兄が亡くなった時、フランスの新聞社が間違ってノーベルの死亡記事を書きました。そこには「かつてない速さでかつてないほど多くの人間を殺す方法を発見した死の商人」と紹介されていたのです。ノーベルはその記事を読み、深く考えました。「私はそのように思われていたのか…」。 自分に対する人の本音がわかった時、対応をどうするか。自分も悪口を言ってやっつける、無視する、泣き寝入り等々。ノーベルの選んだ方法は、遺産を平和のために活用するということでした。祝福となることを選択した彼の意志は、その後ずっと受け継がれ、100年以上たった現在でも、ノーベル賞を授与されることは世界中の科学者の目標となっています。 あざける者の座に座らず、むしろ祝福すること。ここに神の祝福が流れ出す大きなヒントが隠されています。今週も祝福の道を選びとる毎日として参りましょう。 |
栄光をこの家に満たす(10月20日)戦後間もなくの田中美男先生の伝道時代、米沢興譲教会では会堂建築のために予約献金を募り、木造の教会建設が始まりました。ところが、大型の台風で農家の収穫物が大打撃を受け、「約束した献金をすることができない」という方々が何人も出る事態となりました。 ハガイ書には神殿建築を励ます次のような御言葉があります。「わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる。」(ハガイ2:7)。神は匿名の献金者を送って窮地を救ったでしょうか?いいえ、そうはならないのが現実でした。田中美男先生は米沢市の家々を一軒ずつ回り、「托鉢(たくはつ)募金」に出かけました。なぜこのような苦労を、と思いますが、棚からぼた餅的な行きあたりばったり的信仰を養うためではなく、「勇気を出せ。働け。わたしはあなたがたと共にいる」(ハガイ2:4)という神の御心があったのです。先生は数年の苦労の間、神の存在を疑うことなく、時に浴びせかけられる罵声を忍び、1円、5円の献金を集められました。そして無事支払いを終え、会堂が建てられました。その後、2度、礼拝堂を献堂でき、来年、100周年記念礼拝堂に向けて恵みの中にあります。神の約束は確かなのです。 今週も神の義と神の国を求め、神のために働く時、すべての必要が満たされることを味わってまいりましょう。 |
リーダーのために祈る(10月27日)第102代内閣総理大臣となった石破茂氏は、自身4代目のクリスチャンであることを公表しています。国会内で行われる超党派議員の祈祷会で髙木師がメッセージをした際も、親しく声をかけて下さいました。 聖書には、「王」という語で表される国のトップの人たち、そして「長」という名称が付くリーダーのために祈りなさい、と書かれてあります。「王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。」(Ⅰテモテ2:1)。その目的は、続く2節に、「わたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすため」とあることから、安定した信仰生活を送るためだとわかります。リーダーの判断如何で私たちの生活は大きく左右されます。その人たちの判断に誤りがないように、そして、正しい選択が出来るように、とりなしの祈りをせよ、というのがこの聖句の言うところです。 全世界の指導者が神の導きを受け、正しい決断ができるように祈ってまいりましょう。 |
2024年10月の霊想