2024年11月の霊想

二人の意味(11月3日)

イエス様は人間の心をよく理解し、弟子たちをペアで伝道へと遣わされました。「また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして」(マルコ6:7)。二人なら、一方が心弱り、神を見上げる力が無くなっても、他の一方がその人を助け励まし、再び福音を語る力が与えられます。

アメリカ人の女性宣教師二人が英会話教室を通して伝道なさいました。A先生が片言の日本語で「ニチヨウビ、キョウカイニキマセンカ?」と英語クラスの生徒さんを教会の礼拝にお誘いすると、「Thank you(サンキュー)」という生徒さんからのお返事。先生はとても喜んでいましたが、日曜日、待てど暮らせどその生徒さんは来ません。

アメリカでの「Thank you」は「ありがとう。そうします」という同意の意味ですが、日本人の言う意味は「お気持ちはありがとう。でも、行けないかも」です。A先生はカルチャーショックと共に「イエス様のことを持ち出すと拒否される」という二重のショックを受け、落ち込んでしまいました。するとB先生が彼女を慰め励ましてくれました。また、逆にA先生がB先生の失意の時に支えとなったこともありました。これがペアの強みです。

ご夫婦、あるいは信仰の友と共に、今週も祈り合い、励まし合って参りましょう。

ゆだねる訓練(11月10日)

認知症は5年ごとに2倍という速さで増加しており、高齢化社会における大きな課題となっています。60代後半では100人のうち1~2名の発症率だったのが、次の5年間で3~4名に増え、90代には約半数にまで上昇するという統計もあります。このような状況下で、教会生活を続けるにはどうすればよいのでしょうか。

答えは、ただ一つ、「ゆだねる」ことです。「自分はもう続けることができない」と自分の限界を認めて、他者の力によって続けさせてもらうのです。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる」(詩篇55:22)。この御言葉が、私たちに大きな力となります。

認知症は、物忘れだけでなく、段取りを立てたり、複数のことを同時にこなしたりする能力も低下させます。そのため、家事や運転など、日常生活の様々な場面で困難を感じるようになります。できない自分を認めることはつらいことです。しかし、これはゆだねるための訓練なのです。人生の早い段階で、ゆだねる訓練を施された人は幸いです。そしてそれには遅すぎたということはありません。今、持っているものを手放し、神様のご計画に委ねる。人生は、最後まで成長できる素晴らしいものです。

ゆだねて、続ける。この言葉を胸に、今週も主と共に歩んでまいりましょう。

一緒に入ろう!(11月17日)

「へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」(ピリピ2:3)

 

互いに相手のしもべとなり、仕え合い、他者を自分よりも尊いものとする人間関係は、自己肯定感へとつながります。人は、他者を尊重し奉仕する中で、自己の価値を認め、自信を持って生きていくことができるのです。

クリスチャン夫婦が経営するお店がありました。奥様の謙遜は本物ですが、ご主人の謙遜は実は自信の無さの表れです。世間は見ているもので、「あそこは奥さんでもってるようなものだ」という声がどこからか聞こえてきます。彼はますます自信を失い、ある日、奥様に対してこんな言葉が出てきました。「天国に入る時、君は謙遜だから行列の先頭にいて、先に天国に入るんだろうなあ。僕は謙遜のふりをした傲慢だから、列のはるか後ろの方で待ってなきゃいけないんだよ」。いかにも謙遜のふりをして、相手を後ろからひっかくような言い方です。奥様はご主人の目を見つめて、しばらく何も言わず、そして静かに微笑んだかと思うと、ギュッと彼の腕をつかみ、こう言いました。「一緒に入ろう!」。

しもべとして他者に仕える生き方は、あなた自身と、あなたを取り巻く人間関係をより豊かなものへと変えていきます。しもべとなる祝福をいただく今週として、共に歩みましょう。

「なぜ」と「いつまで」(11月24日)

「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。」(ハバクク1:2)

 

二千数百年前に、神に対してこのように率直に問いかけた預言者ハバククの存在は大きな慰めとなります。しかし、この祈りに対する神の答えは、敵国アッシリアよりもさらに厳しいバビロンの支配をイスラエルにもたらし、ついにはバビロン捕囚という事態となりました。神のなさることは、多くの場合、人間には理解し難いものです。

ここで信仰を深め続けるか、それとも離れてしまうのか。その分かれ道となるのが、「なぜ」と「いつまで」という問いです。ハバククは「いつまで」と問いかけましたが、「なぜ」とは問いませんでした。「なぜ」の祈りの場合、時間の経過と共に信仰の熱は冷め、ついには冷え切ってしまうことがあります。しかし、「いつまで」と祈るハバククの祈りには、神の存在を確信し、その神に絶えず求め続けるという強い信仰が表れています。彼は、自分たちが直面する問題には、神の目的と定められた期間があると確信していたのです。

先の見えない暗やみのような毎日を送る時は、「なぜ」の祈りではなく、「いつまで」の祈りに転換していきたいものです。神はあなたの祈りを待っておられ、その祈りを聞き続けられる御方です。心から神に語りかけ、今日の課題に立ち向かってまいりましょう。

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