2024年12月の霊想

完成を見て生きる(12月1日)

「スーパーは野菜コーナーから入ってはいけない」と経済ジャーナリストの荻原博子さんは説きます。献立が決まっていないと、あれもこれもと買いすぎてしまうからです。反対に惣菜売場から入り、完成品を見て献立を組み立てると、無駄なく買い物ができます。

信仰生活も同じで、神の国の完成された姿を思い描きながら現実の問題一つ一つに対処していくと、ストレスの少ない活動をしていくことができます。

たとえ今が、神の国から遠く離れたような状態であったとしても、「私のところには救いが来ていない」などと悲観してはいけません。あなたが教会に来てキリストの福音に触れたということは、あなたがいる位置まで神の国が着実に進んで来たということだからです。

この現実を「霊も肉も全存在が救われている」という状態に変えるためには、すでにそうなっている未来があると信じることから始めましょう。つまり、野菜売り場から入るのではなく、完成品が並ぶ惣菜売り場から入るのです。すでに成っている未来があると信じ、聖霊の助けを受けながら、そこに向けて今の不完全な状態を完全へと変える努力をする。それが正しい道のたどり方です。

今週も完全な救いが達成されるビジョンを描き、今日の一日に力を得てまいりましょう。

感謝と慰めの日(12月8日)

「あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、その怒りはやんで、わたしを慰められたからです」(イザヤ12:1)

 

救い主イエス・キリストの十字架を信じた者は、その信仰ゆえに罪赦され、神との平和を体験しています。本来、私たちの上に下されるはずであった神の怒りを、キリストが身代わりに受けてくださったからです。もはや神の怒りはやみ、神から私たちに与えられるのは慰めです。私たちは現在それを信じている段階に生きていますが、やがて、「その日」そのことが本当のこととなり、感謝と慰めの日々が続くのです。

キリスト教式の葬儀はその天国の希望を現実に表す予告篇のようなものと言えましょう。初めてキリスト教式の葬儀に参列される方々へは、「親しい人を失った悲しみはもちろんありますが、故人は天国に行ったのだと確認するお祝いの意味がございます。これは、永遠の別れではなく、天国で再び会えるという希望を確信する式です」とご説明しています。そのような意識で作り上げられた祭壇や告別式の会場、そしてそこで語られる故人の思い出、牧師のメッセージは、一貫して希望に満ち、死者を送る葬儀でありながら、明るい光を照らします。

感謝と慰めのその日が必ずあることを信じ、天国の希望を抱きながら今週も歩みましょう。

神の訓練(12月15日)

神はあらゆるものを通して私たちに語られます。時に神を信じない人を通してさえも、です。イザヤ書では、主の言葉を聞こうとしないイスラエルの民に対して、「否、むしろ主は異国のくちびると、異国の舌とをもってこの民に語られる」(イザヤ28:11)と、神が異邦人を通して語られたことが記されています。

自分とは考え方も価値観も違う人たちと共存しながら生きていかなければならないのが今の日本の現実です。どなたをも神が造られた価値ある存在と見、どこから神のメッセージが来ても受け取れるように謙遜に仕えて学ぶ姿勢、これが神の訓練を望むあなたに対して求められている生き方です。

そのような意味で、仏教式の葬儀は、神が様々な人々を通して語りかけてくださることを実感できる貴重な機会です。何がしかの形で仏式葬儀に関わらなければならない立場になったら、「異なる信仰だから」などと敬遠せず、積極的に縁の下の力持ちとして働かせていただきましょう。そうすることで、人々の心の奥底にある本音の話を聞くことができ、また、悲しみに打ちひしがれているご遺族の気持ちに寄り添う機会が与えられるのです。神は、そうした場面で私たちの心に語られます。そして、その時に得た深い洞察によって、人の魂にキリストの福音をお伝えすることができるのです。

今週も、神の声を聞き、その導きに従いながら歩んでまいりましょう。

良き知らせを受ける(12月22日)

「飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。」(ルカ2:16)

 

「あなたを救う方が来られた」という良き知らせを、神が最初に伝えたのは誰だったでしょうか?それは、野にいた羊飼たちでした。キリスト降誕のクリスマスの時、人々は人口調査のため、それぞれの生まれ故郷で登録をしなければなりませんでした。しかし、羊飼たちは例外でした。なぜなら、彼らは数に入らない、なきに等しい者たちとして見られていたからです。しかし、その羊飼たちこそが、一番最初に救い主誕生の知らせを受けたという事実は、まさに人生の逆転劇と言えるでしょう。

今年一年を振り返った時、「自分の不十分さでああなった」と自分を責め、自己嫌悪に陥るようなつらい経験をした方もおられるかもしれません。しかし、神の目は最も弱い人に注がれています。

クリスマスの良き知らせをいただける人は、この羊飼いたちのように、期待されている基準を満たさない人です。「自分こそ、そのような存在だ」と知る時、あなたは羊飼たちと共に、良き知らせを自分のものにできるのです。

神は最も弱い者に最も近いのです。自分の罪と弱さを受け入れ、救い主をお迎えするクリスマス。その恵みの中でこの日を感謝と喜びで過ごしましょう。

祈りの人生(12月29日)

クリスチャンの祈りの人生とは、神様とペアを組んでゴルフをするようなものです。キャディーがイエス・キリスト。ギャラリーが聖霊。敵はサタン合同チームと致しましょう。

父なる神様は常に完璧なので、最初に打っていただければ全てホールインワンで優勝できます。しかし、「あなたが先に打ちなさい」と言われ、クラブを持たせてくださいます。ところが私たちは空振りしたり、ボールを池の中にポチャンと沈めたり、パートナーの神様の足手まといになるようなことばかりしてしまいます。すかさずキャディーのイエス様が「この方はこれが最善と考えてスイングしたのです。リカバリーショットをお願いいたします」ととりなします。ギャラリーの聖霊は「ナイスだったよ」とガッツポーズを見せ、静かに応援しています。

その間にサタン合同チームはズルをしてボールをグリーンに乗せています。そこで神様が静かにショット!打った球はサタンチームのボールに近づき、何とそれを弾いて方向が変わり、ピンそばにピタリと止まりました。そして、「最後はあなたが沈めなさい」と順番を回して下さるのです。そこはあなたの技量が試されるところです。しかし、あえて神様はその距離を残しておき、最後の感動をあなたに味わわせようとされているのです。

あなたの祈りというショットから、感動の人生が始まります。この1年の歩みも、このような恵みが豊かにあったことを覚え、新しい年に目を向けて行きましょう。

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