命につなぎ直す(4月6日)聖書で言う「死」とは、すべてが無くなって終わり、ということではありません。死とは「分離」を表します。命の源から「切れる」ということです。どんなに美しく生けた花でも、既に 鋏(はさみ)が入れられ、根元から切り離されているので、聖書的概念では死んだ状態です。人間関係で交流が無くなったり、夫婦や親子の間で会話が無くなったり、関係が切れていれば、それは死んでいる状態となります。 聖書は、死んでしまったらもう終わり、とは考えません。分離された結果が死なので、もう一度命につなぎ直せば生きると考えます。神と人間をつなぎ直して命ある関係にするためには、その関係を切った「罪」を取り除けばよいのです。それを、自分の命を代償にして、成して下さった方がイエス・キリストです。 車の運転で違反をしたら交通反則金を払います。払わなければその罪はいつまでも残りますが、払ってしまえば罪はなくなります。 今週も神との関係を新たにし、つながりを確認してまいりましょう。 |
愛の中を歩む秘訣(4月13日)「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」(ヨハネ15:12)
ある方のパソコンのセッティングをお手伝いした時のことです。パソコンの電源を入れた起動時のパスワードを何にするかお尋ねしました。するとその方は「smileGLYにして下さい」とおっしゃいます。私はその方に、「最初のsmileはスマイルですね。では、最後のGLYの3文字は何を意味するのですか?」と尋ねると、それは「God Loves You」(神様はあなたを愛しておられる)の頭文字を取った3文字だということを明かして下さいました。 その方はパソコンを起動するたびごとに「笑いなさい。神様はあなたを愛しておられる」と打ち込んでお仕事を始められるのです。今日一日、どんな試練が襲ってくるかわかりません。しかし、“Smile, God loves you!”「笑いなさい。神様はあなたを愛しておられる」と自分を鼓舞し、神の愛を信じてその日に飛び込んでいく。この毎日の訓練が、その方を愛の人となるように成長させたことは言うまでもありません。 愛のわざをさせていただき、愛の中を歩む今週となりますように…。 |
復活の希望(4月20日)「草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」(Iペテロ 1:24~25) クリスチャン医師の小澤竹俊先生は、ホスピスでの豊富な経験を通して、人が自分の人生の終わりを意識すると、日常のありがたさがわかってくると書いておられます。ホスピスに入るほどの状態になり、体が思うように動かせなくなると、「それまで『おいしいものが食べたい』と思っていた人が、『胃ろうではなく、もう一度自分の口で食事をしたい』と思い、『海外に行きたい』と思っていた人が『もう一度、自分の足でトイレに行きたい』と思うようになる。つまり、当たり前の日常を望むようになるのです。」(小澤竹俊著『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』より)。 人生最後の日を意識すると、日常生活が宝物に囲まれていたことを知り、感謝するようになります。私たちはすでに多くのものを神から与えられ、意味ある人生を送っているのです。死で一旦それは終わりになりますが、永遠の生命を与えられたクリスチャンにとっては途中休憩のようなもので、復活の日からさらに続いていく希望が与えられています。 復活の約束を信じ、草花を生かして下さる神と共に生きていきましょう。 |
いのちの行列(4月27日)日本のお葬式で「清めの塩」を渡されることがあります。旧約聖書でも「すべて人の死体に触れる者は、七日のあいだ汚れる。」(民数記 19:11)と、「死」は「汚れ」と認識されています。しかし、イエス・キリストはその常識を覆す行動に出られました。 やもめのひとり息子が亡くなり、その葬儀の行列と出会った時、イエス様は近寄って棺に手をかけました。「死者は汚れている」という当時の教えからすると、突拍子もないイエス様の行動です。さらに、「若者よ、さあ、起きなさい」(ルカ 7:14)と言って、死んでいたひとり息子をよみがえらせました。 キリストの十字架と復活の意味が、この「やもめとそのひとり息子」の出来事にまとめられています。人間の死は罪の罰としての結果です。従って、この息子の行列を、墓(死)から方向転換されたイエス・キリストのみわざは、人間の汚れと罪をご自分のものとして引き受けて下さったことを表します。それは十字架上の死で具体的なものとなりました。また、罪の罰としての死を引き受けて下さったばかりでなく、復活によって死をも解決されたのです。 キリストを信じ、罪ゆるされて永遠の命が与えられた者には、復活の朝があるのです。そこに希望を置き、イエス様のいのちの行列に加えていただきましょう。 |
2025年4月の霊想