2025年8月の霊想

人生の冬の時(8月3日)

チューリップが咲くのには時があります。最近の研究によると、チューリップは10週間前後の低温の時期を経験しないと開花しないのだそうです。春の開花が終わり、土の下で球根が育ち、すぐ次の花が咲いてもよさそうに思えますが、そうではありません。冬の間の低温が必要なのです。雪に覆われた土の中は水分が保たれ、球根にとってはベストの状態です。そして春の暖かさが球根を目覚めさせ、美しいチューリップの花が咲くのです。

旧約聖書ルツ記には、この「時」が記されています。ナオミはルツがはからずも親戚ボアズの畑に行ったこと知り、神の導きを感じます。落ち穂拾いの生活は収穫が終われば途絶える不安定な生活です。そこでナオミはルツに語りかけます。「娘よ、わたしはあなたの落ち着き所を求めて、あなたをしあわせにすべきではないでしょうか。」(ルツ記3:1)。ナオミはルツの「落ち着き所」、すなわちボアズとの結婚を考え、大胆な策をルツに授けました。後にこれは実現します。

私たちの人生にも春の時と冬の時があります。冷たい雪の下の更に深い地の下に埋まり、人に踏まれ、誰からも忘れられているように感じる時期もあるでしょう。しかしその時間がなければチューリップが開花しないように、私たちの人生には冬の時も必要なのです。

神の時を待ち、神の時には一気に花を咲かせる。今週もそのような人生を送っていきましょう。

死は「終り」ではない(8月10日)

桜の木は、冬の間は枯れ木のように見えますが、内側では春の満開に向けた備えをしています。ヨブ記にこうあります。「木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない」(ヨブ記14:7)。けれども、旧約には限界があります。「しかし人は死ねば消えうせる。息が絶えれば、どこにおるか」(ヨブ記 14:10)。

新約の時代である今は、キリストの復活を通して、どんな人生にも望みがあることが啓示されています。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ 11:25)。人生は肉体の死で終わるのではなく、キリストを信じる者には、死の向こう側に永遠の命が約束されています。この世がすべてという生き方から、永遠の世界を見ながら今を生きるという人生に変えられるのです。

かつてフジテレビに、国際派キャスターの山川千秋氏がおられました。彼は働き盛りの 55 歳、食道ガンを告知され、約半年の闘病後に亡くなられます。しかし、クリスチャンである奥様の導きにより信仰を持ち、感謝の言葉を残して永遠の世界へと旅立たれたのです。そのいきさつは、彼の死後、『死は「終り」ではない』という書名で出版され、多くの人に感動を与えました。

キリストを信じる者には、永遠のいのちの希望と共に天で愛する者と再会できる希望が与えられています。復活の約束に心を向け、信仰の歩みを続けていきましょう。

苦しみを共にする神(8月17日)

「天を仰いでため息をつき、」(マルコ7:34)

 

カウンセリングの基本は、安易に答を教えないことです。カウンセラーは解決策を持っていたとしても、あえてそれを留めます。そして、クライエントの話を聞き、一緒に悩み、迷い、苦しみます。そうするからこそ、共感が生まれるのです。

イエス・キリストは、耳が聞えず口のきけない人の癒やしの直前、ため息をつかれました。それは失望のため息ではありません。この人の苦しみ、孤独、絶望を深く理解し、その苦痛に対する、言葉にならないほどの深い共感と悲しみが、ため息となって表れたのです。また、このため息は、聖霊の「うめき」(ローマ8:26)と同じ言葉です。聖霊は弱い私たちに共感され、助けようとしてうめき、ため息をつかれるのです。五里霧中で行くべき道など全く見えない中、私たちが恐る恐るでも一歩踏み出せるのは、「わたしたちと同じように試錬に会われた」(ヘブル4:15)キリストがおられるからです。

神は、あなたのためにため息をつき、うめいてくださるお方です。この苦しみを共にしてくださる神と共に生きようと決心することが、人への依存から神への信頼へと生き方を転換する始まりとなります。

今日がそのスタートの記念日となりますように…。

人生という楽器(8月24日)

「わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」(エレミヤ 1:5)

楽器が超一流の演奏者の手にかかると素晴らしい音色を奏でるように、神は人を用いられます。どのような器でも、その器でなければ奏でることのできない音色を、神はあなたから引き出し、用いてくださるのです。

「さとうきび畑」で知られる新垣勉さんは盲目のテノール歌手です。米兵の父と日本人の母の間に生まれた彼は、生後まもなく事故により失明。両親の離婚、母との離別、育ててくれた祖母は中学 2 年の時に他界し、天涯孤独の身になりました。「自分ほど不幸な人間はいない」と自殺まで考えていた高校 1 年生のある時、ラジオから流れてきた讃美歌がひとすじの光のように感じ、教会へと足を運びます。新垣さんは神の愛に触れ、クリスチャンとなりました。

彼が自分の人生に対する神の意図を知ったのは、名ボイストレーナーのバランドーニ氏のオーディションを受けた時です。「君の声は日本人離れしたラテン的な明るい声だ。一人でも多くの人に励ましと勇気を与えるために君の声を磨きたい」と激賞され、本格的に声楽家の道を進みます。父親からもらった声をほめられたことで父への憎しみが消え、逆に感謝の気持ちが湧いてくるようになったと言います。

生まれる前から私たちは神によって選ばれています。神にゆだね、用いていただく今週として参りましょう。

霊的たきぎ(8月31日)

「火は絶えず祭壇の上に燃え続かせ、これを消してはならない」(レビ記 6:13)

オリンピックの聖火リレーの火が消えることは珍しいことではないそうです。伴走する車には聖火の元火が積まれ、たとえトーチの火が消えても再点火できるように準備されています。

旧約時代の祭司は、常に祭壇の上の火を燃やし続ける職務を持っていました。動物のいけにえを焼き、神に捧げるためです。ですから、祭司は朝ごとに「 薪(たきぎ)」を準備しなければなりませんでした。

私たちが学ぶべき事は次の 3 つです。
1「火は消える」。正直に認めましょう。私たちが何もしないでいれば火は消えるのです。情熱もやる気も、燃えるような信仰も、そのままではやがて消えてしまいます。

2「たきぎを備える」。燃やし続けるために、祭司たちは「 薪(たきぎ)」を準備しました。あなたの今日一日を燃やす「たきぎ」は何でしょうか?

3「恵みは朝」。「祭司は朝ごとに、たきぎをその上に燃やし」(レビ記6:12)とあります。たきぎを準備するのは朝です。霊的たきぎは、聖書を読むこと、黙想や祈りを通して与えられます。

毎朝この「たきぎ」を準備しましょう。この積み重ねの上に霊的成長があります。

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