神に依存する(9月7日)依存症という心の病があります。アルコール依存症、ギャンブル依存症、そして人間関係の依存症もあります。誰かのことが頭から離れず、常にその人のことを心配していないと不安で仕方がないという状態です。すると、本来自分が取り組むべき人生の問題から一時的にでも離れることができるので楽になり、ますます依存が深まるのです。 しかし、依存するなら、人ではなく神に依存すべきです。人間は神により頼んで生きるとき、最も健全に生きられるようにデザインされているからです。イエス・キリストは耳の聞こえない人の耳を開かれましたが、それは「神が私の人生を握っておられる。この方の言葉を聞き、それに従って生きていこう」という歩みに導く奇跡でした。 あるお母さんが、入試を受ける我が子を送り出し、その足で礼拝に来られました。頭の中は子供のことでいっぱいでしたが、説教を聞くうちに心が定まってきました。「そうだ、子供には子供の人生がある。私は我が子を握っていたからこんなに気持ちが振り回されていたのだ。神様、入学試験がどんな結果になろうと、それを感謝して受け、すべてをゆだねます」。そう祈って、彼女はすっきりした表情で教会を後にしました。これこそ、神に依存する生き方です。 イエス・キリストの十字架による罪の赦しと復活を信じて救われた者を、神は真の自由へと導いてくださいます。今週も、主の声に耳を開いて歩んでまいりましょう。 |
信仰の導き手(9月14日)Sさんのお子さんはかつて不登校児で、彼女はそれをきっかけにして教会に来られ、クリスチャンとなりました。今は先輩ママとして、不登校児を抱えるヤングママたちの相談に乗っておられます。 経験のない、新しい生き方をするためには、先にそこを通り、「こう行けばいいのだよ」と教えてくれる先導者が必要です。聖書は、私たちと同じ思いを先に味わい、そこを通り抜け、信仰を完成したイエス・キリストこそ私たちの導き手だと語っています。「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(ヘブル 12:2)。 また、私たちは教会に集いますが、先にその道をたどった先輩クリスチャンの実例を見、具体的にこう生きるのだなと学ぶことができます。特に、自分と同じ不安を味わい、同じ失敗を幾度となく繰り返し、自分自身にあきれながらも、キリストの十字架の赦しにすがりついて気持ちを立て直し、最後にはゴールにたどり着いた人となら安心して歩んでいけます。先輩ママはそういう人が最適なのです。そして今度は、あなたがその役割を担う番です。その時、あなたの数ある失敗は、神から与えられた豊かな宝であったと気づくでしょう。 信仰の導き手であるイエス・キリストを仰ぎ見つつ、互いに励まし合いながら、今週も主と共に歩んでまいりましょう。 |
聞いて行う(9月21日)お笑い芸人の養成学校に入る人たちは、皆、アドバイスを聞く熱意ある人たちです。ところが、聞いて、「次の機会に活かそう」と思うだけでは不十分なのだそうです。本当に売れる人とは、アドバイスを受けたその場で「いつ始めるか」を即座に決め、すぐに実行に移す人たちです。イエス様が言われた「聞いて行う」とは、まさにこのような姿勢で生きることを指しているのではないでしょうか。 マタイによる福音書第 7 章 24~27 節には、対照的な二人の人物が登場します。岩の上に家を建てた人と、砂の上に家を建てた人です。砂の上に家を建てた人について、イエス様は「わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者」(マタイ 7:26)と語っておられます。 この言葉に心がざわついた人は、まさに今、主の声を聞いたのですから、キリストの言葉に従って行動すればよいのです。私たちは、悔い改めのチャンスを何度も逃しながら日常を送っています。しかし、心のどこかで「聞いて行う者になろう」と願う人は、自分なりに神の言葉をキャッチする方法を見出し、岩の上に人生の土台を築いていくのです。そうして、どこかの時点で必ず、神と自分との歯車が噛み合い、人生が力強く動き出していきます。 「聞いて行う者」となる。そのチャレンジの一週間として歩んでまいりましょう。 |
キリストにゆだねる(9月28日)大谷翔平選手の元同僚が、以前から「サイン入りバットが欲しい」と頼んでいたそうです。すると大谷選手は、わざわざ対戦チームのベンチまで行き、彼に向かって、「バットは無し。プラスチックバットを送るよ」と言いました。これだけ聞くと冷たく感じるかもしれませんが、実はこれは、大谷選手がデッドボールを受けた直後、報復ムードが高まる中で場を和ませるために発したジョークでした(2025年7月28日 NHK「クローズアップ現代」より)。 どんな出来事にも、そこに至るまでの背景があります。神は、あなたがなぜそのように言い、そうせざるを得なかったのか、その始まりから終わりまでをすべてご存知です。神はある出来事を単独で切り取って、それを責め立てる御方ではありません。 イエス・キリストは取税人ザアカイに、「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」(ルカ19:5)と言われました。彼の悪名高い取り立てだけを見たのではなく、その背後にある心の葛藤や孤独をご存じだったのです。ザアカイはその後、罰としてではなく、喜びから自分の財産を施し、不正な取り立てを4倍にして返しました。 あなたのすべてを知る神に、自分の人生の主導権を明け渡す時、ザアカイのように人生が変えられます。今週もイエス・キリストにゆだねて歩んでまいりましょう。 |
2025年9月の霊想
