2025年10月の霊想

空(くう)の空(くう)(10月5日)

五七五の俳句の最後に「それにつけても 金の欲しさよ」と付けると、どんな名句も情けなくなるというお笑いのネタがあります。旧約聖書「伝道の書」にも、これに通じるようなフレーズがあります。

「伝道の書」は、新共同訳聖書では「コヘレトの言葉」という書名になっています。コヘレトとは伝道者という意味ですが、中身は伝道者らしからぬ虚無的言葉が散りばめられています。たとえば、1章 2節にはこう記されています。「コヘレトは言う。なんという空しさなんという空しさ、すべては空しい」(新共同訳)。つまり、「何をやっても変わらない」「どうせムダだ」といった思いが語られているのです。

しかし、この書が聖書に取り入れられていること自体が素晴らしいのです。人間の陰の部分や虚無的思い、あってはならないはずの後ろ向き否定的部分。これらを抹消するのではなく、むしろ「そのような部分も人間の一部であり、人生の現実である」と神がご存じであることを示しているのです。何をやっても気力が出ず、「なんという空しさ」と心の中でつぶやくあなたをも、神は見捨てず、受け止めてくださっています。

無理やり元気を出そうとせず、まず、その神がいらっしゃることを心に覚えましょう。神は、時満ちて、御心の場所へとあなたを押し出してくださいます。

ワイシャツの裏(10月12日)

神の奇跡の動機は「あわれみ」です。4000 人の給食の奇跡の直前、イエス様は、「この群衆がかわいそうである」(マルコ 8:2)と、深いあわれみを示されました。神のあわれみは、そちらこちらに落ちていますが、それを拾い上げられるのは、謙遜に身をかがめる人だけです。

H兄は 30 歳で独立し、事業を始められました。奥様のお父さんは商売をなさった苦労人です。何も無いところから始める彼に、いきなりポンと資金援助をしては、世の中を甘く見る傲慢な経営者にさせるかもしれません。かと言って突き放すのでもなく、先に商売の苦労を味わった先輩ならではのアドバイスをなさいました。

「ワイシャツの裏についている厚紙で名刺を作りなさい」

H兄は素直にこのアドバイスに従い、サインペンで書いた手書きの名刺を作り、これを持ってあちらこちらを訪ね歩きました。素朴な手作りの名刺は、彼の純朴な性格をそのまま表すものとなり、お客様から別のお客様へと人脈がつながり、仕事がいただけるようになりました。厳しさを伴ったお義父さんの愛情もさすがですが、それを感謝して受けとめたH兄の謙遜もまた見事です。

今週も、神のあわれみから与えられる命のパンを、謙遜に身をかがめて受け取ってまいりましょう。

寄留者の生き方(10月19日)

あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい(第一ペテロ2:11)

私たちは天国行きの飛行機のチケットを予約している旅行者のようなものです。救われて、確実に行くことはできますが、いつ搭乗アナウンスがなされるかわかりません。ですから、この世のしがらみにどっぷりと足を突っ込んで抜けられなくならないように、肉の欲は避けるのです。大丈夫、神様はこの世にいる間も、神を頼る者に祈りにかなった助けを与えて下さいます。

K兄の奥様は視力に障害があり、旅行中につまづいて足を痛めてしまいました。帰路で飛行機の遅延により乗り継ぎ時間がわずか20分しかなく、奥様の状態では到底間に合いそうにありません。K兄はいろいろ考えましたが、祈りが最優先と示されました。「神様、妻は目が悪い上に足にも痛みがあって、いつも以上にゆっくりしか歩けません。どうか助けてください」。すると、客室乗務員の中でもチーフパーサーは状況を察していたのです。直通の車を手配してくれたので、家族は無事に次の便に乗り継ぐことができました。

神は天の御国へ無事到着できるように、あなたの祈りに最善の答を与えて下さいます。今週もその神様にある平安に包まれ、あなたの歩みで進んで参りましょう。

単純作業の訓練(10月26日)

あなたが成長を目指すなら、単純作業を敬遠していてはいけません。修道院で単純労働が重んじられてきたのは、単純作業は「従順の訓練」だからです。「これに何の意味があるのか」といった疑問を超えて、「ハイ」と従うことで自らの意志を他者の意志に従わせる練習となります。

あえて単純作業を自分に課す世界に飛び込んでみると、事前に予想していたのとは違う世界が広がってきます。まず自分の忍耐力の無さに気づきます。耐えられない自分を正当化しようとして、単純作業の無意味さを理論立てて説明しようとします。しかし、それも効果がないとわかると、苦痛を和らげるために「どうしようもないのだ」と諦める自分が出てきます。やがて、それこそが傲慢であると気づかされます。そして「こうしてさせてもらえること自体が感謝なのかもしれない」と心が柔らかくなっていくのです。

そこまで達すると、「まだもう少しやっていたい」と思っても、神様の方から「もう出なさい」と、すぐに出されます。神の御心にかなう、素直なあなたが出来上がったからです。

それから後は、どんなことも神の祝福として吸収し、さらにその祝福を世の人に広めるあなたとして生きていくのです。

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