裁きの向こう側(10月22日)

経営の達人の松下幸之助さんは、部下を叱って叱って叱り抜くことで有名でした。松下さんに怒られた社員は身が凍るような怖さを感じたと言います。それは、松下さんが真剣に仕事にも社員にも取り組んでいるがゆえの迫力が出ていたからです。

しかし、神の裁きのような1時間、2時間が過ぎた頃、「君の力があれば、できたはずやないか」「君はもう充分にわしの考え方を理解しとるはずや。理解しているくせに、こういうことをやったらアカンやないか」と絶妙のフォローがあるのです。部下はそのことで救われ、「期待されているから叱られているのだ」と理解し、やる気が起きたと言います。

神が語る滅びの預言も同じです。人を全く滅ぼすためではなく、その人をきよめ、新しい命に生かすために神は語っているのです。そのために、神はひとり子イエス・キリストをこの地上に遣わし、私たち人間の身代わりとして十字架につけられました。そして、キリストの十字架の死は私の罪の身代わりのためであったと信じるだけで、罪ゆるされ、新しい永遠の命が与えられるのです。ここに「その日、主の枝は麗しく栄え」(イザヤ4:2)という情景を見る人生の道が開かれています。

今週も神の正しい裁きの向こう側にある、罪赦された喜びの毎日を送ってまいりましょう。

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