日本に梅雨があるように、聖書の地イスラエルでは秋の雨と春の雨の2回が雨季です。イスラエルの農家は秋の雨が来る直前に種を蒔き、収穫直前の春の雨によって豊かな実りを得ます。
古代イスラエルはこの雨を降らせる方を正確に見極めなければならないはずでした。しかし、彼らは、安易に豊穣を約束しながら、実は何の力もない偶像の神々に向かって行きました。「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ」(ゼカリヤ10:1)との御言葉は、私たちの人生を本当に支えてくださる方は誰であるか、それを正しく見極め、その方に人生を預けなさいと私たちに語っています。
K子さんは小学生のお子さんを持つお母さんです。時が経ち、子どもが自分なりの考えを持つようになってきました。これまでの「親が子を守る」子育てからの転換点が訪れ、K子さんは神様に祈りました。すると次の御言葉が心に浮かんできました。「成長させて下さるのは、神である。」(Ⅰコリント3:6)。彼女の肩からスッと荷が降り、子どもに対するキツイ気持ちが緩やかになった気がしました。子どもが選ぶことが何であれ、その一つひとつに親である自分が寄り添い、支えていくことが自分のできる最善であることが見えてきたのです。
天から雨を降らせ、私たちの命を支える神に力と知恵を求め、成長させていただく今週としてまいりましょう。