『大切な人とは』(6月9日)

北海道の「浦河べてるの家」でソーシャルワーカーとして活躍された向谷地生良(むかいやち いくよし)氏は、その著『精神障害と教会』(いのちのことば社)でこう述べておられます。「大切な人とは、私たちがもっとも受け入れにくいかたちで出会いが用意される」。教会でも一般社会でも、心に病を持つ人々に対して、初めは同情できても、その後、戸惑いどころか拒否感を持つからです。しかし、彼は、「よく考えると、その『つきあいにくさ』の半分以上は、『(理想とは正反対である)自分とのつきあいにくさ』ではないかと思う」と気づかされたと書いています。

コリント人への第一の手紙第13章は「愛の章」と言われる有名な箇所ですが、そのように生きていない自分を責めていると、向谷地氏の言うような「つきあいにくさ」を感じます。聖書のとおりに生きられない自分、神の御心を果たそうと思っても果たせない自分。その自分をいたわり、「それでいいんだよ」と受け入れることが、すなわち「自分を愛する」こととなります。ここに希望があるのです。

神はあなたにチャレンジとなる人を送りました。今までは、その人を愛そう、受け入れようとしてきました。しかし今日からは、その相手を愛せない自分を受け入れ、理想は語れるけれど行動は正反対で口ばっかりの自分のありのままを「そのままでいい」としっかりと受け止め、愛していくのです。この世界こそ愛が満ちる世界となります。

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