信仰の自由(6月30日)

旧統一教会の問題から出た「宗教二世」という言葉は、クリスチャンホームの親にとって他人事ではありません。「家族に伝道すること」と「自由を尊重すること」と、バランスをどのようにとっていったら良いのでしょう。

キリストは誰にでもわかるたとえ話を通して神の真理を伝えましたが、その最後に「聞く耳のある者は聞くがよい」(マルコ4:9)と言っておられます。キリストの言葉を聞いて、その意味を正しく聞こうとする謙遜な「耳」があるかどうか、が各人に問われているのです。

イエス・キリストは決して「御心だからやりなさい」という信仰の押し売りはしません。聞いたことにどう応答していくか。従うか従わないか、聞かなかったことにしておくか、自分の生き方を考え直してみるか。人間には多種多様な選択が残されています。ただし、その自由意志による選択で人間の運命は決まる、と聖書は語っています。

聖書のメッセージはその人の責任と自由において聞かれ、その人の選択によって受け取られるべきものです。国家制度に組み込まれたり、宗教組織によって強要されたりするべきものではありません。相手が家族の場合も同様です。聖書の話が聞きやすい環境作りをし、祈りつつ神の働きを待つ態度が大切です。正しい信仰はその中において育っていくからです。

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