有名な「種まきのたとえ話」の中に、土の薄い石地に落ちた種があります。この種はすぐ芽を出しましたが「根がないために枯れてしまった」(マルコ4:6)とあります。表面からは見えない部分にガツンとした岩があるので、御言葉の真理を吸収するための根が伸びないのです。その岩とは神の御心よりも自分の意志や願望を優先させようとする「我(が)」ではないでしょうか。
祈っても自分の祈りのとおりに事が運ぶことは稀です。しかし、かたくなな思いを内に秘めている人は、自分の願い通りに事が進まなければ「おかしい」と思います。自分を神に服従させようとはせず、神を自分に服従させようとするのです。そのような人は、「試練を取り除いて下さい」という祈りを繰り返し唱えます。もちろん、試練を取り除いてくださいと祈って良いのです。しかしその中で、「試練に耐えうるように力を与えて下さい」と自分を変えるための祈りを祈れるかどうかが、心の中にある大きな岩を取り除けるかどうかの鍵です。
ゲツセマネの園で「この杯をわたしから取りのけてください」と祈られたイエス様は、その後、「みこころが成るように」、つまり、心の中の岩を取り除いてくださいと祈られました。ここが人生の分かれ道です。
今日、あなたの祈りが、御心にかなったものとなりますように…。