「能ある鷹は爪を隠す」と「弱い犬ほどよく吠える」という2つのことわざは、人を正しく評価するには、外見でなく、その人の行為を客観的に見て判断することが必要だと教えます。ところが、イエス様の郷里ナザレの人たちは、先入観に基づいて判断していました。
彼らは「このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか」(マルコ6:2)と不思議がりました。イエス様が公生涯に入ってからなされた数々の奇跡を伝え聞いたのです。しかし、人々は村中の血縁関係を知り尽くしていたので、「我々と変わらない普通の人間ではないか」という思い込みが消えませんでした。
イエス・キリストは100%神であると同時に100%人間です。聖書はそれをこう語っています。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた」(ピリピ2:6-7)。
人間の姿に隠された神の子の神性を見抜くためには、自分の中の先入観を一旦脇に置き、心を中立の状態にしなければなりません。虚心坦懐にイエスという人物の言葉と行いを調べてみようとすることが、正しいイエス・キリストの理解へと到達するやり方です。
まず、聖書の言葉を聞くこと。そこから始める今週として参りましょう。