「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。」(ハバクク1:2)
二千数百年前に、神に対してこのように率直に問いかけた預言者ハバククの存在は大きな慰めとなります。しかし、この祈りに対する神の答えは、敵国アッシリアよりもさらに厳しいバビロンの支配をイスラエルにもたらし、ついにはバビロン捕囚という事態となりました。神のなさることは、多くの場合、人間には理解し難いものです。
ここで信仰を深め続けるか、それとも離れてしまうのか。その分かれ道となるのが、「なぜ」と「いつまで」という問いです。ハバククは「いつまで」と問いかけましたが、「なぜ」とは問いませんでした。「なぜ」の祈りの場合、時間の経過と共に信仰の熱は冷め、ついには冷え切ってしまうことがあります。しかし、「いつまで」と祈るハバククの祈りには、神の存在を確信し、その神に絶えず求め続けるという強い信仰が表れています。彼は、自分たちが直面する問題には、神の目的と定められた期間があると確信していたのです。
先の見えない暗やみのような毎日を送る時は、「なぜ」の祈りではなく、「いつまで」の祈りに転換していきたいものです。神はあなたの祈りを待っておられ、その祈りを聞き続けられる御方です。心から神に語りかけ、今日の課題に立ち向かってまいりましょう。