神はあらゆるものを通して私たちに語られます。時に神を信じない人を通してさえも、です。イザヤ書では、主の言葉を聞こうとしないイスラエルの民に対して、「否、むしろ主は異国のくちびると、異国の舌とをもってこの民に語られる」(イザヤ28:11)と、神が異邦人を通して語られたことが記されています。
自分とは考え方も価値観も違う人たちと共存しながら生きていかなければならないのが今の日本の現実です。どなたをも神が造られた価値ある存在と見、どこから神のメッセージが来ても受け取れるように謙遜に仕えて学ぶ姿勢、これが神の訓練を望むあなたに対して求められている生き方です。
そのような意味で、仏教式の葬儀は、神が様々な人々を通して語りかけてくださることを実感できる貴重な機会です。何がしかの形で仏式葬儀に関わらなければならない立場になったら、「異なる信仰だから」などと敬遠せず、積極的に縁の下の力持ちとして働かせていただきましょう。そうすることで、人々の心の奥底にある本音の話を聞くことができ、また、悲しみに打ちひしがれているご遺族の気持ちに寄り添う機会が与えられるのです。神は、そうした場面で私たちの心に語られます。そして、その時に得た深い洞察によって、人の魂にキリストの福音をお伝えすることができるのです。
今週も、神の声を聞き、その導きに従いながら歩んでまいりましょう。