聖書で言う「死」とは、すべてが無くなって終わり、ということではありません。死とは「分離」を表します。命の源から「切れる」ということです。どんなに美しく生けた花でも、既に 鋏(はさみ)が入れられ、根元から切り離されているので、聖書的概念では死んだ状態です。人間関係で交流が無くなったり、夫婦や親子の間で会話が無くなったり、関係が切れていれば、それは死んでいる状態となります。
聖書は、死んでしまったらもう終わり、とは考えません。分離された結果が死なので、もう一度命につなぎ直せば生きると考えます。神と人間をつなぎ直して命ある関係にするためには、その関係を切った「罪」を取り除けばよいのです。それを、自分の命を代償にして、成して下さった方がイエス・キリストです。
車の運転で違反をしたら交通反則金を払います。払わなければその罪はいつまでも残りますが、払ってしまえば罪はなくなります。
十字架の死とは、人間の罪をキリストが代わりに払って下さったということです。そのことを信じるだけで人は無罪と認められ、神と人間の切れていた関係が再びつながれます。それから先は神の命が流れ込み、豊かな収穫のある人生を生きていけるのです。
今週も神との関係を新たにし、つながりを確認してまいりましょう。