いのちの行列(4月27日)

日本のお葬式で「清めの塩」を渡されることがあります。旧約聖書でも「すべて人の死体に触れる者は、七日のあいだ汚れる。」(民数記 19:11)と、「死」は「汚れ」と認識されています。しかし、イエス・キリストはその常識を覆す行動に出られました。

やもめのひとり息子が亡くなり、その葬儀の行列と出会った時、イエス様は近寄って棺に手をかけました。「死者は汚れている」という当時の教えからすると、突拍子もないイエス様の行動です。さらに、「若者よ、さあ、起きなさい」(ルカ 7:14)と言って、死んでいたひとり息子をよみがえらせました。

キリストの十字架と復活の意味が、この「やもめとそのひとり息子」の出来事にまとめられています。人間の死は罪の罰としての結果です。従って、この息子の行列を、墓(死)から方向転換されたイエス・キリストのみわざは、人間の汚れと罪をご自分のものとして引き受けて下さったことを表します。それは十字架上の死で具体的なものとなりました。また、罪の罰としての死を引き受けて下さったばかりでなく、復活によって死をも解決されたのです。

キリストを信じ、罪ゆるされて永遠の命が与えられた者には、復活の朝があるのです。そこに希望を置き、イエス様のいのちの行列に加えていただきましょう。

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