北朝鮮による拉致被害者のニュースに触れるたびに、なぜ普通の人がこのような理不尽な目に遭わなければならないのかと感じます。思いもよらない人生の苦しみに直面する時、ヨブ記がその助けになります。
ヨブ記の冒頭には、こう記されてあります。「ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。」(ヨブ記1:6)。ヨブの苦しみの原因は、神がサタンに対して、ヨブに災いを下すことを許されたという一点にあります。天において、その理由は明確にされているのです。
そのことは「ある日」という一語に込められています。原語のヘブル語では定冠詞がついていますから、本来は「その日」です。私たちにとって苦難は「ある日」突然、何の前触れもなく起こるように見えます。しかし天において、それは神のカレンダーに記された「その日」に予定通り起こるのです。神がご存じない所で苦難が起こることはありません。必ず何らかの理由と意味があって苦難は存在しているのです。しかし、ヨブはなぜ自分が苦しみに遭ったのか、その理由は最後まで知らされませんでした。「なぜ?」という問いに対して、必ずしも答が与えられるとは限らないのです。
自分にとっての「ある日」は、神にとっての「その日」です。苦難には神が与えた何らかの意味があることを心にとめ、今週も信仰の歩みを積み重ねていきましょう。