御言葉の確かさを見る(6月29日)

昔々、ワープロ専用機では 1MB(メガバイト)のフロッピーディスクに文書を保存していました。今やその容量の単位は、メガどころかギガを超えてテラが普通です。メガ、ギガ、テラを遥かに超えた無限の彼方から人間の時間を見れば、その見方は全く違ってきます。

米沢興譲教会 100 年の歴史の中で、小さな石油ストーブを囲んだ祈祷会で、一千人の礼拝が出来る大会堂を祈った時期がありました。熱心に祈るおばあちゃんたちは決して裕福ではなく、乏しい中から捧げ、忠実に祈り続けました。しかし、生きている間にその祈りが叶えられることはありませんでした。まことに「草は枯れ、花はしぼむ」(イザヤ 40:8)という言葉のとおりでした。

しかし、やがて神の力が現れ、否定的見方は肯定的方向へと修正され、時満ちて教会堂が建設されました。「信じたとおりになる」(マタイ8:13)という神の言葉が成就したのです。自分の目で見られるかどうかで神の言葉を判断してはいけません。見られない人の方が多いのです。しかし後に続く人たちが、先達の祈りによって積み上げられた恵みにあずかり、「しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」(イザヤ40:8)という御言葉の確かさを見るのです。

たとえ今は見えなくても、信仰の目で未来の確かさを見つめていきましょう。

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