アイドルと言われる人気芸能人がいます。英語の"idol"の意味は「偶像」です。偶像(アイドル)は、それに願いをかける者の声を反射して、期待通りの言葉を返すのが仕事です。
聖書の神は偶像の神ではありません。ですから、イエス・キリストはしばしば人間にとって不都合なことを語られ、時には何も言わず、沈黙を守られることさえあります。
マタイによる福音書第15章では、子どもの癒やしを求めて来たカナンの女に、イエス様がどのように応じられたかが記されています。
①無視:「イエスはひと言もお答えにならなかった」(23節)。イエス様は聞いて聞かぬふりをしていました。
②拒否:「イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」(24節)。異邦人は神の恵みの対象外であるとはっきりと断られました。
③侮辱:「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」(26節)。犬とは異邦人への蔑称です。
実はこの女の霊的資質を見抜いたイエス様の御計画があり、彼女の信仰を高嶺に導く意図があったのです。
聖書の神は人格を持った神です。それゆえ、祝福も苦言も語られます。呼べど叫べど一切答えられないこともあります。それこそ真の生きた神である証拠です。そのことを覚え、たゆまず、神に祈りを捧げる日々を送って参りましょう。