単純作業の訓練(10月26日)

あなたが成長を目指すなら、単純作業を敬遠していてはいけません。修道院で単純労働が重んじられてきたのは、単純作業は「従順の訓練」だからです。「これに何の意味があるのか」といった疑問を超えて、「ハイ」と従うことで自らの意志を他者の意志に従わせる練習となります。

あえて単純作業を自分に課す世界に飛び込んでみると、事前に予想していたのとは違う世界が広がってきます。まず自分の忍耐力の無さに気づきます。耐えられない自分を正当化しようとして、単純作業の無意味さを理論立てて説明しようとします。しかし、それも効果がないとわかると、苦痛を和らげるために「どうしようもないのだ」と諦める自分が出てきます。やがて、それこそが傲慢であると気づかされます。そして「こうしてさせてもらえること自体が感謝なのかもしれない」と心が柔らかくなっていくのです。

そこまで達すると、「まだもう少しやっていたい」と思っても、神様の方から「もう出なさい」と、すぐに出されます。神の御心にかなう、素直なあなたが出来上がったからです。

それから後は、どんなことも神の祝福として吸収し、さらにその祝福を世の人に広めるあなたとして生きていくのです。

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