翻(ひるがえ)って生きよ(11月16日)

自分のせいにせず他者に責任転嫁する性質は、アダムとエバ以来の人間の固有の性質です。バビロン捕囚時代のイスラエルも、自分たちが捕囚の憂き目にあっているのは我々のせいではない。先祖の罪に対する刑罰だ、と考えました。

預言者エゼキエルはこの考え方に真っ向から反論しました。人は他人の罪の重荷を負うのではなく、自分の罪の重荷を負うのです。与えられた環境はどうあれ、私は私の責任を負うと決断し、方向転換する時、神の導きが明らかにされます。「わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」(エゼキエル 18:32)。

Y兄は、貧しい家庭と酒乱の父、早く亡くなった母という厳しい環境に生まれました。荒れた青春を送る中で、唯一の光はクリスチャンの祖母の祈りでした。やがてその祈りが聞かれました。「このままではいけない」と気づいた彼は、生まれ落ちた環境を呪わず、自分がやったことのみに目を止め、そこでの悔い改めを果たしたのです。神に降参したその歩みの中で、彼は教師となり、かつての自分のような生徒の声に耳を傾ける先生となりました。

神は翻って生きる人生を祝福されます。あなたの責任のみに目を向け、その責任を神の前で果たすことに集中して参りましょう。

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