主の祈りと共に教会でよく唱えられるのは使徒信条です。この中に、「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり」という一節があります。「陰府(よみ)」という、愛の神とは縁のない死後の世界にキリストは下り、そこからよみがえられた、という信仰の告白です。旧約聖書のヨブ記にはこの福音の予表が見えます。
ヨブは希望のない苦しみの中で死を願います。神から来る苦難であれば、神とは縁のない陰府に住まいを移したい、という表現でそれを述べています。ところが、やはりそこにも希望は見いだせないことを、「わたしの望みはどこにあるか」(ヨブ記 17:15)と嘆きます。
しかし私たち新約の時代に生きる者は、復活のイエス・キリストを知っています。この世にも死後の陰府にも希望はないと語ったヨブに対し、この世も陰府も歩かれ、死を征服し、その全てに対し勝利を得られた主イエス・キリストがおられるのです。「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」(第一コリント 15:55)。実にヨブの絶望は、キリストにあって希望と変えられるのです。
受難週のこの時、キリストと共に苦難を耐え忍んでいる方もおられるでしょう。復活の朝、その全てに勝利と意味が与えられたことを思い、新たな希望を持って参りましょう。
