1999年1月の霊想

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二十一世紀のキーワード  (1月3日) 

今、世界的に注目を浴びているのがEQ(Emotional Quotient)の概念です。EQとは、IQ(Intelligence Quotient)・知能指数と対極をなす造語です。日本語では、知能指数に対し、『感情指数』、または、『心の知能指数』と訳されています。アメリカの心理学者、ダニエル・ゴールマンが提唱したこの言葉は世界的に有名になりました。
 EQとは、『人生の成功=知能指数の高さ』という考え方を根底から覆すショッキングな内容で、全米で大きな反響を呼びました。これまでの成功概念は、『一流大学→幸せ・結婚』のプロセスと考えられていました。経済の成長時代はこの図式が通りましたが、時代が変わり、終身雇用や年功序列が崩れるに従って、単にIQが高いだけでは通用しなくなりました。
 今日、幸せな人生を送るためには、IQの果たす役割は20%で、残りの80%はEQで決まるとさえ言われています。
 しかし、聖書を土台とするあなたは、SQ(Spiritual Quotient) ・神と共に歩む霊的指数の高さ・こそ、究極的な人生の成功、とお答えなさることでしょう。
 今年こそ、知能指数から、心の豊かさ、そして、何よりも霊的な深まりを追い求めてまいりましょう。

孤独からの解放  (1月10日) 

人はみな孤独を恐れます。そのため、望んで不自然な束縛の下に身を置こうとする人さえいます。私たちの身の回りで起こるいろいろな面倒事を追跡すると、その根源に、『一人で居られない』ということがよくあります。
 現代は科学の恩恵に浴し、便利な時代であるにもかかわらず、孤独の病は加速化しています。
 裏切られた、病気をした、年をとった、死別した、だから孤独を感じるのではありません。人は、生まれたときから、孤独なのです。ただ、それに気づいていなかっただけで、いろいろな出来事を通して、気づかされたに過ぎないのです。出来事は孤独の原因ではなく、孤独の症状なのです。
 孤独から逃れるために、人に愛され、受け入れられたいと、愛情乞食になる人がいます。それはどこまで行っても孤独がいやされないどころか、孤独を深め、解決の道ではありません。
 キリストは孤独の人であった、と言われます。事実、キリストは孤独であられました。しかし、孤独を感じることはありませんでした。神と共におられたからです。
 孤独からの解放は、愛されようと努力することではなく、神に立ち返り、神と共に、人を愛そう、少しでも人のお役に立とうとすることです。これが、唯一で、確かな、孤独からの解放の道です。

人生の土台づくり  (1月17日)

 現会堂建設が開始される時、現場監督をなさった所長さんが次のように言われました。
「目に見えない基礎工事が、最も予算が立てにくく、むずかしいんですよ。土の中のことは、事前の調査もしますが、机の上だけでは決してわからないからです。掘ってみて、はじめて、現場でわかるのです」。
 まさに、人生の土台づくりにも、同じことが言えるのではないでしょうか。
 誰も見ていない、自分だけの現場に遣わされた時が、本当の実力がつく、基礎工事の時です。手抜きをしたい時、もうここが限界、と息が切れる時に、「よし、今こそ、神様が私にくださった私自身の基礎工事。上より召してくださった神の力に満たされて、この現場で一歩を踏み出そう!」と祈りつつ、進むのです。
 会堂が完成した日、誰よりも笑顔が輝いておられたのは、基礎工事から携わってくださった方々でした。「この喜びがあるから、苦労しても、現場の仕事が好きでやめられないんですよ」とは、ベテランの技師・Kさんの言葉です。
 喜びの栄冠が与えられるその日を目指して、今週も、あなたの土台づくり現場に飛び出して行こうではありませんか。 ― ヘブル12・1~2 ―       (S)

興 譲 と は 1月24日) 

米沢興譲教会の『興譲』の由来は、中国の書物、『大学』にまでさかのぼります。そこには、リーダーとなるべき者の心構えが記してあります。「国のリーダーとなる者は、民に対し横暴に振る舞うのではなく、むしろ、民に対してへりくだらなければならない」とあり、このへりくだりを『譲』と言います。
 へりくだり(譲)の心を興すということで『興譲』という言葉が生まれました。米沢の殿様、上杉鷹山は、新しい米沢を担う若いリーダーたちを養成しようと思っていました。そこでつくったのが、興譲館でした。「リーダーは、民に仕え、へりくだって歩むのですよ」そんな思いを込めてこの学校が建てられたのです。
 『興譲』は、私たちの教会にも使われています。これは聖書の教えです。
「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」  (マタイ20・26~28)
 イエス様は、まさに、仕えるためにこの世に来られました。私たちも、イエス様にならい、実体ある興譲スピリットを輝かしてまいりましょう。(K)

もう一歩のチャレンジ  1月31日) 

佐藤初女(さとう・はつめ)さんは、映画『地球交響曲第二番』で、日本中を大きな感動でつつみました。佐藤さんは、もう三十年も前から、心病んだ人、苦しみを抱えた人たちが自然に集まってくる、憩いと安らぎの場『森のイスキア』をつくられ、良き活動をなさってこられました。
 佐藤さんのもとに来る人々が、なぜ、いやされ、力づけられるのか、その著書『おむすびの祈り』を読み、なるほど、と思わされました。
 その本の最初に、次のように記されていました。


私、“面倒くさい”っていうのが一番いやなんです。ある線までは誰でもやること。そこを一歩越えるか越えないかで、ひとのこころに響いたり響かなかったりすると思うでの、このへんでいいだろうというところを一歩、もう一歩越えて。・・・


 感動が、いのちが、湧き上がるかどうかの境界線は、「もういい、もういいだろう」というところで、もう一歩チャレンジをするところにあるようです。
 今週も、私たちの具体的な生活の中で、心してチャレンジしてみたいものです。

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