1999年5月の霊想

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  大  切  (5月2日)

すべての問題は、自分自身を大切にしないところから生じます。多くの人は、自分自身を大切にしていないことにすら気づかないで生活をしています。
 子育て、夫婦関係、また職場など、人との出会いの中でスムーズに行くコツは、相手を大切にすることです。大切にするとは、こびるのでも横柄になるのでもなく、すべての人は神の作品であり、神の愛はイエス様の十字架を通して現されていることを深く覚えることです。
  また先に戻り、自分を大切にしている人は、人を大切にすることができ、自分を受け入れず裁いている人は、すべての人間関係が不調に終わります。あなたは今あるご自身、そして、これまでの人生のすべてをゆるし、受け入れ、大切になさっておられますか。
 ここでの『大切にする』とは、何かができてもできなくても、存在を丸ごと受け入れ、大切にすることです。私たちはこの世界を知らずに生まれましたから、新たに学習する必要があります。教科書は聖書です。み言葉により、「神の作品、すでにあがなわれた私」と、いつも自分に語り聞かせることです。自分を大切にしないことは、最大の罪です。神様はすでに、あなたのありのままを愛しておられるからです。
 今週も、命を捨てても惜しくないほど大切にしてくださっている神の愛に目をとめてまいりましょう。  

  経 験 か ら 体 験 へ  5月9日


熟練したタクシーの運転手さんは、道ばたで手を挙げているお客様を見た時、その姿を見ただけで、現在運転している地点とお客さんが乗車しようとしている場所の間の距離がわかるそうです。長い年月の間に培われた直感力が身に着いているからです。

 このような直感力や洞察力は、私たちが日常生活の中で経験することを、経験で止めずに、体験まで高める時に起きるようです。私たちは一日の間に、大小様々なことに出会います。一日の終わり、週の終わりには、必ず神様との交わりを持ち、出来事の一つ一つを祈りの中で点検することによってのみ、血となり肉となる体験を身につけることができます。
 同じ状況や出来事に出会っても、何も感じない人、それを消極的に取る人、それを宝にする人とそれぞれのレベルがあります。その中で、出来事を宝にしていく人とは、自分の思いだけで日を過ごすのではなく、神様との交わりの中で、報告を申し上げたり、感想を申し上げたり、神様に質問したり、反省をしたりなさるのです。その祈りの中での一つ一つを通してのみ、実体のあるクリスチャンが育てられていくようです。
 今週も、心して歩んでまいりましょう。

  キリストのからだとして  (5月16日)

 イエス様を主と信じるクリスチャンの仲間にも、様々な持ち味のグループがあります。それを『教派』と呼んだりしますが、持ち味が違うために、つい、自分の教派が一番良く、他の教派が異なると裁いてしまうことがあります。
 これは、教派だけでなく、同じ主にある教会に属していても、一人ひとりの持ち味が違うために、自分と異なる人々に対し、違和感を覚えるものです。自分に自信がない人ほど、相手も自分のようになってほしい、と思います。それに対して、自分に与えられた分をわきまえ、感謝をもって生きている人は、異なる人の持ち物に嫉妬や裁きは決して起きません。
 神様は、人を、それぞれ異なっているようにとお造りになりましたから、自分が持っていて相手にないものを責めるのではなく、自分になく相手の内にあるものを尊敬していきたいものです。私たち一人ひとりは、さながら、一つの体を形成している一部分のようなものです。ですから、聖書では、弱い部分は全体でそれを補い合うと言っています。
 日本の教会全体、また、私たちの教会の交わりにあっても、一つのキリストのからだとして、いつも生き生きとして健康体を保っていきたいものです。

  キリスト流もてなしに徹する (5月23日)

 温泉観光地・別府に未来を描いた油屋熊八氏は、三十歳にして米相場で巨万の富を得ましたが、戦後の経済大変動で一挙に無一文となってしまいました。その後、夢を求めて渡米。しかし、言葉や経済的に並々ならぬ苦労を強いられることとなりました。その中にあって、キリストに出会い、救いを見い出し、洗礼を受けたのです。
 帰国後、故郷の別府で、客間が二間の旅館を始めました。「努めて旅人をもてなしなさい」(ローマ12・13)のみ言葉が事業の土台となり、お客様に対するもてなしに、大いに影響を与えたそうです。もてなし方は、お客様に喜んでいただける二点に焦点を合わせました。それは、旅の疲れをとり、ゆったりしていただき、心と体の休息をとっていただくようにとの配慮から、極上の寝具と極上の食事というものでした。油屋氏は、心からのもてなしに徹し、成功を治めたのです。
 人生において、折々に、心いっぱいのもてなしをしてくださっているイエス・キリストの愛にあって、私たちも、キリスト流のもてなしをもって、日々出会うお一人びとりに仕えてまいりましょう。
「あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であ
るこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すな
わち、わたしにしたのである」(マタイ25・40) (H・T)

  い の ち を 与 え る  (5月30日

 「私のすることは、一日に一人の人を愛を込めてお助けすることです。余力があればもう一人の人をお助けします。それだけです。」とマザー・テレサは言いました。お金も力もない女性の小さな働きが、人々に感動を与え、大きな働きになっていきました。自分のできること、与えることができるものはちっぽけかもしれません。しかし、重要なのは与えるものが大きいか小さいかではなく、与えること、そのことです。
 キリストは、五千人、四千人の給食の奇跡を通して、最も大切なことを教えておられます。イエス様はご自身を『いのちのパン』と言われ、感謝してパンを裂きました。これは主の十字架をさします。パンが裂かれたように、イエス様は全人類のために十字架の上でご自分のいのちを裂かれました。
 その裂かれたいのちを弟子たちがいただいて、全世界に出て行き伝道し、行く先々でこのイエス様のいのちを人々に与えていったのです。伝道しながら、きっと弟子たちはパンの奇跡を思い出していたに違いありません。なぜなら、ペテロは美しの門で、施しをこうていた、生まれながらの足のきかない男にこう言ったからです。
「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるも
のをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によ
って歩きなさい。」(使徒3・6)  (K・K)

 

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