2000年7月の霊想

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  信仰の確かさ  (7月2日)

 神様に忠実になり、信頼しようと願い、信仰心を確立しようと思うのに、最後のところで、つい「本当かな、大丈夫かな」と疑う自分なのですが……と、相談してくださった方がおられます。
 信仰、神様に信頼するとは、疑いのひとかけらもない思いになることではありません。信頼し、信仰心を深めようと思えば思うほど、そうできない、自分の疑い深さに気づかされるものです。
 信仰とは、不十分なところを補って完全になることではありません。不十分で欠けだらけな自分のそのところまで来てくださり、そのままを受け入れ、とりなし、確かな方向に向けて共に歩いてくださるイエス・キリストを心に迎えることです。すなわち、神様のご配剤に対して、ただ幼な子のように、「ありがとうございます」と生きることです。
 信仰とは、私たちがつかみ取り、達成することではありません。むしろ、達成できない私たちのただ中に、神様が来てくださり、神様が私たちを選んでくださったのです。信仰の主体は、私たちではなく、神様です。いつも、この信仰の土台を確認していきたいものです。
 「あなたがたがわたしを選んだのではない。
  わたしがあなたがたを選んだのである。……」
                    (ヨハネ15・16)

  男 と 女  (7月9日)

 「神は自分のかたちに人を創造された。
  すなわち、神のかたちに創造し、
  男と女とに創造された。」
                 (創世記1・27)
 神様は男と女に創造されましたが、このことを深く理解できると、離婚の歯止めとなり、現代の多くの問題に対する良き助けとなります。
 現代は、小さい頃から、男の子も女の子も同じように育てられます。しかし、歴史を見ると、男は狩猟し、女は家で子供を産み育て、家を守る、という働きがあります。それゆえ、男は一点集中して、一途に獲物を追いかけることに長け、家を守る女性は、共々家を守る女同士のコミュニケーションに長けています。
 事実、生後数ヶ月までの赤ちゃんを調べてみると、女の子は「人」に、男の子は「もの」に興味を示します。また女の子は、生後12週位で家族と他人の顔を写真で見分けることができますが、同じ年頃の男の子には無理です。話し始める時期は女の子がはるかに早く、3才位の時点では、男の子の2倍近くの言葉を身につけます。語学に関する才能は女の方が秀でており、数学や物理学の能力は男が一般的に優れ、女は人間とその関係に、男は物体とその仕組みに関心を持つのです。
 この基本的な違いを理解し、学習することを心がけるだけで、地球の未来はさらに変化することでしょう。

  物の見方、考え方  (7月16日)

 同じ時、同じ状況で、同じものを見ていても、受け取り方が一八〇度異なることがあるのは不思議です。私たちの内にある心のフィルムが、同じものを見ながらも、違った報告書を作るのでしょう。
 今から四五〇年前、日本に宣教したフランシスコ・ザビエルは、本国に送った伝道報告書にこう記しました。「日本国民は、私が出会った民族の中で、最も優れている。日本人は一般的に良い素質を持ち、悪意がなく、交際していて非常に感じがよい」と。一方、ザビエルの後に来日したカブラル宣教師は、一五七〇年から八年間滞在しましたが、次のように本国に書き送りました。「私は、日本人ほど、傲慢、貪欲、不安定で偽善的な国民を見たことがない」と。
 この違いは、いったい、何を意味するのでしょうか。
 それは、各々の心のフィルムの異なりです。カブラルは、日本人そのものも、風習も、文化も嫌っていたと言われます。
 今、初めて、『カブラル』という名を聞かれた方もおられるかと思います。情熱とあたたかい愛をもって伝道したザビエルの方が歴史の中で覚えられているという事実は、私たちの日々の歩みの大きな指針となるのではないでしょうか。

  りんごとバナナ  (7月23日)

 りんごもバナナも果物を代表する両横綱のようなものです。この二種の果物の決定的な違いは何でしょう?
 りんごは、表面を美しく、時にはしっかり磨かれることがあります。人間も、外面を美しく保つことは大切な要素です。なぜなら、人は見えるものから物事の判断を出発させるからです。一方、バナナは、外面を脱ぎ捨てて初めて、自分本来の使命を発揮します。バナナは、時に、外側が黒ずんでくる時にこそ、最もおいしいと言われる方もいます。
 私たちの日々の歩みにおいて、しっかり表面を磨き込んで整える時と、時に、それらを惜しげもなく脱ぎ捨てる時と、りんご型とバナナ型の相反するものを併せ持って生きることが、人生の秘訣です。磨くべき時に脱いだり、脱ぐべき時に磨いたりすることのないように、心したいものです。
 相異なる選択の中で人生の決断をなすためには、いつも、今、何をなすべきかをしっかりと判断し、神様との交わりの中にあって、その折々に適った決断をなさることです。
 良き決断の一週間でありますように。
「あなたが右に行き、あるいは左に行く時、そのうしろで『これは道だ、これに歩め』と言う言葉を耳に聞く」
                              (イザヤ30・21)

  信仰を鍛える  (7月30日)

 一九七二年、ミュンヘン・オリンピックでの出来事です。その水泳選手は、スタート台でピストルの音を待ちました。彼は初出場ながら決勝へと勝ち進んだのです。ピストルの音と共に飛び込み、全力で泳ぎ、彼は、金メダルを手に入れたばかりか、世界記録を更新しました。翌日も、彼は金メダルを獲得しました。何と、またもや世界新記録でした。彼はミュンヘンで七種目に出場し、すべて金メダル、七つの世界新記録を樹立しました。こうして世界にマーク・スピッツの名が響き渡りました。
 この栄光の陰に練習の日々がありました。オリンピックを目標に、一日何時間にも及ぶ泳ぎとウェイト・リフティングの訓練が、毎日、何年間も続けられたのです。彼には、目指すところを知っている者のひたむきさがありました。この勝利は運でも偶然でもなく、その積み重ねの結果です。人生の勝利を願う人に、彼の言葉は適切です。「勝つのは誰だって大好きです。しかし、練習が好きでたまらない人はどれくらいいるでしょうか?」
 「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは
  思われず、むしろ悲しいものと思われる。
  しかし後になれば、それによって鍛えられる
  者に、平安な義の実を結ばせるようになる」
                 (ヘブル12・11)
 私たちの歩みにおいても、み言葉に根ざし、日々訓練することが人生のオリンピックで勝利をもたらします。

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