2002年06月の霊想

  あなたは今何才ですか (6月2日)

 人間には三つの年齢があります。
 一つは生まれた時から数えた、私たちが一般に用いる年齢。二番目は体の働きで測る機能年齢。そして三番目はその人の内面的年齢です。これは、先の二つとは異なり、いつまでも若々しくあることができます。
 実際、かの名曲「アヴェ・マリア」は、八四才のベルディによって作曲されました。マーサ・グラハムは七五才まで演劇を続け、九五才の時に一八〇作目となる作品を演出しました。ミケランジェロは、八九才で死ぬ直前まで、ピエタ像を彫っていましたし、画家のグランマ・モーゼは、八〇才で初めての個展を開きました。
 日本に目を向けると、プロスキーヤー、三浦雄一郎氏のお父様は、九七才の今も一年の半分はスキーを楽しんでおられると言います。また、クリスチャンとして良き働きをし、医学界に多大な貢献をしておられる日野原重明医師は、九〇歳を過ぎた現在も現役を続け、「昨日も徹夜で二本原稿を書きました」と言い、次の日には元気で診療なさっておられます。
 さて、あなたは今何才ですか。「まだまだこれから」と言うところでしょうか・・・。
「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」
(Ⅱコリント4・16)

  人生を楽しむ  (6月9日)

 超一流ホテルのオーナーで、度々日本を訪ね、知日家でも知られるA氏に、日本のホテル関係者たちが、宿泊の感想を聞きました。日本の方々は、「自分たちのサービス、運営には、百%の自信有り」という思いでした。答えは期待どおりでした。「すばらしい。仕事は正確だし、雰囲気も申し分ない」。ところが、そのあとに、心に残るひと言がありました。「しかし、日本のホテルマンは、仕事を楽しんでいないね」と。
 どんなに99%整っていても、もし肝心な一つが欠ければすべてを失う、ということがあるものです。
 あなたも日々の生活を楽しんでいらっしゃいますか。体調も思わしくなく、経済も、また人間関係も……と、人生には多くの試練がつきものです。しかし、聖書は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(Ⅰテサロニケ5・16~18)と語ります。
 人生は、ヨットで旅をするようなもので、無風状態では一つも前進しません。様々な嵐のような試練があってこそ、前進できるのです。
 どのような状況でも、主にある喜び、祈りから生まれる感謝のほほえみが、あなたの日々の生活にさらに深みを増し加える一週間でありますように。

  人生、三つの問い (6月16日)

 人生には根本的な三つの問いがあります。この問いの答えこそが人生のすべて、と言うことができます。
 第一は、何のために人生を生きるのか、ということです。究極的には、自分のために生きるのか、他者のために生きるのか、この選択が分かれ道です。自分のため、と思う人は、終わりのない欲望に振り回され、身を滅ぼすことになります。他者のため、すなわち、神のために生きる人は、進めば進むほど心豊かな人生となります。
 第二の問いは、何をして人生を生きるのか。まず何よりも、与えられたどんなことにも忠実に、ていねいに挑戦をすることです。なぜ私がこのようなことを、と思うような、小さく、時には不得手な事であっても、心を込めて為すことです。その姿勢が、あなたの明日を築くのです。
 第三の問いは、誰と共に人生を送るのか。良き伴侶を見いだし、また、良き友人がいることは、人生を豊かにします。しかし、最大のあなたの友は、あなたの内にいるもう一人の自分です。内なる自分と和解し、和合し、自己一致して生きることです。
 そして、この三つの答えの源は、あなたご自身が、あなたを造られた神(インマヌエル)と共に歩むことです。今週も、心して励みましょう。

  大いなる遺産 (6月23日)

  少にして学べば、すなわち荘にして為すことあり。
  荘にして学べば、すなわち老いて衰えず。
  老いて学べば、すなわち死して朽ちず。
 右の言葉は何度読み返しても心にしみ入ります。あなたが、どの年代、状況におられても、すべて為すことは血肉となり生かされていくことは、何と希望に満ちたことでしょう。
 特に、最後の言葉が心に響く方もおられることでしょう。年齢的に老いたり、置かれている状況が困難であっても、なお、み言葉に学び、日々の生活の中で練習し、工夫していく時に、あなた自身はこの地上に存在しなくなっても、いつまでも人々の心に残り、あなたの生き方その良き音色と芳しい香りは、人々を慰め、勇気づけていくのです。
 次の時代に私たちが残す遺産は何でしょうか。芸術や事業等、すばらしいものがたくさんあります。しかし、すべての人がそれを為すことはできません。あなたにも残せる遺産は、今を恵みの時として学ぶこと、すなわち「キリストと共に生きる」生き方に尽きます。
 今週も、心して歩んでまいりましょう。
「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」(ヘブル11・4)

  信仰生活の確かさ (6月30日)

 ある人が、「タンスを置くスペースを測らずに買い求めてしまい、いざ置いてみたら大きすぎて失敗した」と言っておられました。豊かな人生を生きる人は、ただぼんやりと時を過ごすのではなく、どんなことも、確かな物差しで確認し、事をなします。
 正確な規範、物差しは人生に確かさをもたらします。
 たとえば、安定した売上を上げている飲料水メーカーは、徹底した調査の結果、冷たくして飲む清涼飲料水の温度を四度としており、スープや紅茶、コーヒーといった温かいものは六二度としているそうです。適温であることが、安定性の鍵なのだそうです。
 では、私たちの生活の確かさは、どこにあるのでしょうか。それは、いつもみ言葉に立ち返り、自分の現在地を知ることです。そののちに、向かうべき方向を定かにするのです。これこそが、賢い生き方に他なりません。
 今週も、自分の現在地を確認しつつ、前進してまいりましょう。
 「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ8・12)   

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