2004年6月の霊想

  自立とは  (6月6日)

 人生の最終目標は、自立して生きることです。
 自分に与えられた賜物を見いだし、可能性に向かって生きている人は、人の目を気にしません。むしろ、自分に与えられた分量に満足し、輝いて生きます。
 このことを忘れ、あるいは、知らずに生きると、自分の希望や願いを他人に託すことになります。ですから、相手が自分の思うようにやってくれなかったり、願うように動いてくれないと、腹が立つのです。そして、さらに悲しいことは、依存し、甘えている人ほど、自分が甘えていることに気がつきません。人間関係や状況に振り回されてイライラする人は、人生は自分持ちであることを忘れて、まわりに依存しているのです。
 自立して生きるとは、その自分の甘えに気がつき、そのあるがままを受け入れてくださる主と共に生きることです。そして、主にあって自分をいやしていただき、育て、自分ならではの人生を生きることに他なりません。
 今週も、私しをこよなく愛し、私ならではの人生をくださった神と共に生きてまいりましょう。

 「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか」
                                (ミカ6・8)

  神の愛の実践者に   (6月13日)

 元真珠湾攻撃隊長、淵田美津雄氏は、戦犯裁判の証人として軍事法廷に喚問されました。負けた身のつらさと勝者が敗者に対して行う法の名を借りた復讐に怒り、葛藤はあまりにも深いものでしたが、その時、日本兵捕虜収容所での出来事を聞き、大変感銘を受けたのです。
 日本軍がフイリピンを占領したため、アメリカ人宣教師夫妻は北ルソン島の山中に隠れていました。やがてアメリカ軍が上陸し、敗れた日本軍が同じ山中に追い込まれました。そこでこのご夫妻を発見し、スパイとして処刑することにしました。二人は死ぬ前に準備をしたいと言い、30分間、聖書を読み、祈り、処刑されました。このことがアメリカのお嬢さんに伝えられ、彼女は悲しみと憤りに打ち震えました。しかし、処刑前30分の両親の祈りが何であるかを彼女が悟った時、キリストの愛が彼女に深く迫り、憎しみが敵への愛に変えられたのです。
 淵田氏がこの感動の拠り所を求めて聖書を読んだ時、

   「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、
    わからずにいるのです」           (ルカ23・34)

の言葉に出会い、お嬢さんとキリストの十字架の愛が一つとなりました。後に淵田氏はクリスチャンとなり、『真珠湾からゴルゴダへ』と題して世界に伝道されたのです。
 今週もキリストに支えられ、生活のただ中で神の愛を実践していきたいものです。

  信仰の人  (6月20日)

 日本に『死の哲学』を浸透させた功労者で上智大学教授、アルフォンス・ディーケン先生は、数多くの働きをしておられます。ディーケン先生は音楽隊で有名なドイツのブレーメン近くで生まれ、欧州、アメリカなど12ヵ国で学び、最後に日本に来られたのです。人々から「なぜ日本に」と問われ、次のように語られました。
 ディーケン先生は小学校時代、ナチスの指導者養成学校に入ることを拒んだため、当時の体制から疎外され、孤独に打ちひしがれ、図書館でひとり、本を読んでいました。その折に、本を通して、彼と同じ年の日本人に出会いました。
 その人はルドビコ茨城。長崎の殉教者です。処刑場に引かれていく途中、ある侍から、「お前は信仰を捨て、私の養子なるように」と言われましたが、12歳の少年は侍に「あなたも一緒に天国に行くことが出来るように」と答え、賛美歌を歌いながら殉教していきました。
 ディーケン先生は彼の生き様に感動し、「こんな立派な人を生んだ日本という国に、いつかぜひ行きたい」と決心したのです。
 かつて日本にこのような信仰の人がいたことを覚え、私たちも勇気をいただき、明日のエネルギーとしたいものです。

  講演会で心にとまること (6月27日)

 今年の講演会テーマは『道は開ける』で、全国各地で開かれております。
 最近の盛岡、山形講演共に、一千名以上の人々が千円の券をお買い求めくださり、喜々としてご来場くださいました。夜の講演会にもかかわらず、すでに午後から大勢の方々が並んでお待ちくださいました。
 これらのことから、三つのことが心にとまります。
 まず第一に、今、日本の人々は、これほどまでに心のエネルギーを求めてやまないという事実です。
 第二に、映画でも、旅行でも、もう一度行きたいというところは少ないものです。例年楽しみにしていらしてくださる方が大勢いらっしゃることは、私たちの教会が時代の必要に応えた働きをさせていただいていることに他なりません。
 第三に、何より大切なことは、この働きが、米沢興譲教会にお集いになるお一人びとりの熱い祈りと尊いご奉仕によって支えられていることです。それゆえに、大きな成果が上げられているのです。
 お一人びとりが豊かに恵まれると同時に、誰かに神様の祝福をお分かちする、そんな存在であることは何とすばらしいことでしょう。
 今週も、感謝の日々を歩みましょう。

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