2004年7月の霊想

  世界でたった一人のあなた  (7月4日)

 「家庭崩壊」「家族がバラバラ」―というフレーズがよく聞かれる昨今です。なぜ、そのようになったかを考える時、その一因は、「者」と「物」との違いが不明確になってきたことにあるようです。
 創造された「者」と製造された「物」。これらは本質的に異なり、「人であること」と「物であること」は、明らかに根元から異なるからです。物は取り替えがききますが、人間は取り替えがききません。生まれたばかりの赤ちゃんは、社会的な価値から見れば低いかもしれません。しかし、「物」ではなく「者」です。物は盗まれても同じ物で補充できます。しかし、赤ちゃんは取り替えがききません。
 私たち一人一人はかけがえのない存在なのです。しかし、家庭が、いつのまにか、「者」ではなく「物」に占領されてきているのです。
 イエス・キリストがこの地上の人間のただ中に来られたのは、物化した人間(失われた者)を救い出すためです。

  「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
   それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得る
   ためである」             (ヨハネ3・16)

 今週も、しっかりと霊的に目を覚ましつつ、物の洪水の中にあって、自分を見失わないでいきたいものです。

  世界でたった一人のあなた  (7月11日)

 心の目を、いつも三方向に向けたいものです。

  目を過去に
 私たちが現在あるのは、多くの土台に支えられているからです。いつもこのことを思い起こしたいものです。「神はあなたがたをかえりみていて下さる……」(Ⅰペテロ5・7)とあるように、過去の悲しみ、困難も、神様の祝福の目を通して見る時にいやされ、悲しみが喜びとなり、宝と変えられるのです。

  目を内に
 他人や状況によって自分の人生が決まると錯覚しがちです。しかし、すべての鍵は私たちの内にあります。他人や状況のせいにしないで、「万事相働きて益となる」と、み言葉への信頼を強固にしてまいりましょう。現在を恵みを汲み取る場とし、自らの祝福のみならず、他者へも多くの祝福を分かちながら生きたいものです。

  目を天に
 人生、どんな状況にも喜びがあるのは、いつも希望に支えられているからです。そして、希望は決して失望に終わりません。なぜなら、未来に向けた希望は、やがて信仰へと昇華されるからです。自分の願い等の延長上に希望を置くのではなく、神様が示す未来に焦点を合わせるのです。これこそ、クリスチャンの醍醐味です。

 今週も、しっかりと霊的に目を覚ましつつ、物の洪水の中にあって、自分を見失わないでいきたいものです。

  信仰道場  (7月18日)

 トータル・カウンセリング・スクールで学ばれた方々が、毎週、学んだことをさらに深める集いが、全国各地で行われています。この場を『道場』と呼んでいます。
 「道場とは何をする場所ですか」と尋ねると、「学んだことを稽古する場所です」と答える方がおられます。このような場をあえて設け、チャレンジなさることは、何とすばらしいことでしょう。
 しかし、さらに強く、確実に成長なさる人は、次のように答えます。「稽古する場ではなく、稽古した成果を試す場です」。すなわち、稽古は毎日、二四時間、日々の歩みであり、その成果を持ち寄る場として道場があると考える人です。
 真の武道家は稽古と日常を分けて考えません。二四時間、すなわち、生かされているすべての時が稽古なのです。
 日曜日の礼拝や祈祷会に来てエネルギーをもらい、御言葉に触れる、という方もおられるでしょう。しかし、私たちの教会がすばらしいのは、神様との交わりは日常生活のことであり、日曜日、あるいは、水曜日には、その成果をもって神に感謝をささげに来られることです。
 この深みある生き方を、しっかりと心して歩んでまいりましょう。

  本物の幸せ (7月25日)

 「恥も外聞もかなぐり捨てて」と表現することがあります。つい、余計なものを着ていることが、本物の幸せを見えなくしていることがあるものです。
 昔、王様が何不自由ない生活をしていました。にもかかわらず、王様には幸福感がありませんでした。国中の知者、学者を集め、幸せになる方法を尋ねたのです。すると、一人の学者が「今幸せな人を見つけ、その人の上着をもらうとよい」と教えてくれました。
 王様はそのような人を捜しますが、なかなか見つかりません。
 ある日のこと、王様は狩りに出かけました。そこで、楽しそうな一人の少年に出会ったのです。少年は羊飼いでした。王様が少年に「幸せか」と尋ねると、少年は、「私は大変幸せです。お日様はこうして照らしてくださり、羊はみんな私の言うことをよく聞きますし、村の人たちはみんな仲良しです」と言うのです。さっそく王様は「お前の上着をわけてくれ。お金はいくらでも出すから」と申し出ました。しかし少年は「私は貧しくて上着は持っていません」と答えました。
 幸せとは、目に見える何かを追うと得ることができるのではなく、その人の心の中にあることを、しみじみ思わされます。

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