2004年12月の霊想

  意志の強さとは (12月5日)

 「偉大な人たち―その偉大さが善に向けられていようと、悪に向けられていようと―特徴づけているものは、その極めて強力な意志だと私は考える。…しかし、キリストの意志はその父である神の意志であるが、ヒトラーのそれは彼自身の意志である。その最も大きな違いは、『喜んで従おうとする意志と、我を通そうとする意志』の違いである」と、精神療法医のM・S・ペック博士は述べています。
 意志には、従おうとする意志と我を通そうとする意志があることがわかります。従う意志とは自分以上の世界を認めて謙遜を生きる、すなわち、愛に生きる生き方。一方、我を通そうとする人は自分が物差し、自分が神と なる生き方です。
 「罪を犯さない正しい人は世にいない」(伝道7・20) 旧約の人々は自分に欠けがあることが前提ですから、限定した答えは出しません。ところが、私たち日本人は、ただ一つの正しい答えを求める傾向があります。
 人間を超えた世界に目をとめる聖書の生き方を通してのみ、本当の意志の強さが培われます。自分に自信がある人ほど謙虚で人間関係の達人なのは、いつも自分を超えた世界に畏敬の念を持って生きているからです。
 神を信じ、神に信頼し、神に聞き従う生き方が真の強さであることを、生活の中で確認したいものです。

  贈 り 物  (12月12日)

 お歳暮のシーズンとなりました。あなたの心に浮かぶ人への、クリスマスの贈り物の用意はすでに整いましたか。物を贈るということはまことに楽しく、差し上げた時の相手の瞳を見るのはとてもうれしいことです。しかし、心配りを最も必要とすることの一つでもあります。

 米沢藩主、上杉鷹山は次のように言いました。
  物を贈るには薄くして、誠あるを要す。
  物厚くして誠無きは、人に接する道に非ず。

名君とうた謳われた人らしい言葉ですね。
 〈高価な物〉とは、値段の高い物を言うのではありません。その中にどれほどのあなたの思いが込められているかということが決め手です。昨今の日本人は、少々の景品は「いらない」と言い、また一方では、本当に欲しい物がなかなか見つからない時代です。このような時代だからこそ、心を込めて贈りたいものです。
 そして、何よりもすばらしい贈り物は、イエス様の愛を人々にお伝えすることです。これにまさる贈り物はないことを、このクリスマス・シーズンにしっかり心にとめてまいりましょう。

   「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、
    あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのた
    めに救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストで
    ある」(ルカ2・10~11)

  メリー・クリスマス  (12月19日)

☆ 神様からの贈り物 ☆
  クリスマスに神様からの贈り物を全身全霊でしっかり受けとめることは最も大切です。神様からの最大の贈り物は、あなた自身の生命、今生かされていることです。生命ある限り、祝福は無限の可能性の中で広がります。
  ところがサタンは、この贈り物を地上の物やお金、人の言葉などに置き換えようと、虎視眈々と狙って潜んでいます。うっかり、などということのないように……。

☆ 他者への贈り物 ☆
  生かされている恵みをかみしめ、様々な可能性を育てていく時、そのエネルギー、喜びをもって他者に贈ることのできるものは何ですか。
 物やお金という形で表し、あなたのぬくもりを込めて贈ることもよいでしょう。しかし、あなたの生き生きとした存在そのものが、どれほど多くの人々を慰め、励ますか測り知れないのです。

☆ 神様への贈り物 ☆
  私たちが、最初に、そして最後にしなければならないことは、神様への感謝の気持ち、贈り物をいつも忘れないことです。クリスチャンでない信心深い方が、給料などをまず神棚や仏壇に供えますが、創造 主の前に、いつもあなたの人生を献げることです。そのことが、神様との絆を深める確かな形です。
  深くこのことを覚え、歩んでいきたいものです。

  豊かな人生の秘訣  (12月26日)

 Aさんが、次のようにおっしゃいました。
「人や状況に求めていた時には、いつも満たされない、枯渇した心の状態であるばかりか、得れば得るほどますます貪欲になり、小さな出来事にはおおよそ喜びを見いだすことはできず、感性の鈍さに自分でも驚いていた。 しかしその原因が、自分の内なる人を強めることなく、物乞いするかのように他に依存していたからであることに気づき、悔い改めて、み言葉と祈りによる生活のディボーションを始めた。その時から、自分の人生がまったく変えられた。すなわち、追い求めなくても、チャンスの方が自分の方に駆け寄ってくるようになり、かき集める人生から、駆け集まってくる出来事で満たされるようになった」。
 先日、福島県より、公立小中学校の校長先生方がわざわざ当教会を訪ねてくださり、教会で研修の時を持たれました。こちらから出向くことが多いのですが、最近はこのように、先方の方々が訪ねてこられます。それは、米沢興譲教会に集われるお一人びとりが、Aさんのような生き方、霊的雰囲気を持っておられ、強い愛の引力となって人々に働き、招いているからです。
 この喜び、感動を、今週も心いっぱい主にささげてまいりましょう。

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