2005年6月の霊想

  一日一生  (6月5日)

 一日を一生にたとえる人がいますが、良き生涯を送るために、一日一日を次のように生きることです。

  朝は希望で起きる
 朝に「今日も、与えられた命で神様のすばらしさを体験できる」という希望で起きることです。昨日まではどうであれ、また現状はどうあったとしても、「神様が最善をなしてくださる」と、心も目も天に向けてスタートすることが大切です。

   昼は努力で生きる
 朝の希望を具体化するために、置かれている状況がどうであっても、小事に忠実に歩むことです。瓶に半分ほど水が入っています。しかしカラスには、飲みたくても届きません。そこで、カラスは小石をコツコツと瓶に入れ、やがて口元まで水がきて飲むことができました。小さな努力があなたの人生を創ります。

   夜は感謝で眠る
 一日の終わりに、「人生、つらいことや、また、様々な人に出会ったけれど、いやな人は誰もいなかった、どんなことも感謝だ」と言うためには、今日一日の感謝をすることです。感謝で休む時、希望の朝へとつながり、その積み重ねがあなたの一生になるからです。

 今週のフライデー・ナイトでは、以上のことをさらに深く学びます。ぜひ、ご参加ください。

  すべては宝に (6月12日)

 かんしゃく持ちの子どもにお母さんが、「怒りが出たら、人にぶつけないで、ここにある釘を、その都度、家の柱に打ち付けなさい」と教えました。やがて、柱いっぱいに打ち付けた頃には、怒りを自分でコントロールすることができるようになりました。すると今度は、「もし怒りを静めることができた時には、柱の釘を、一本一本抜いてごらんなさい」と教えました。すべての釘が抜けた頃には、その子どもは心身共に大きく成長していました。しかし、その柱に醜く残った釘跡は、どうすることもできません。
 さて、あなたはこの物語をどのように続けますか。
 A子さんの両腕には、何十というリストカットの跡があり、それは見事な傷跡です。今、彼女は、その傷を人人にお見せし、「イエス様に出会って、傷が宝へと変えられた」と、喜びを持って証ししておられます。
 だれでもキリストにあるならば、どのような傷も痛みも宝に変えられるという恵みを、今週も、日々の歩みの中で自らが味わい、伝えていきたいものです。

    「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた
    者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しく
    なったのである」(Ⅱコリント5・17)

  きれいな言葉のために  (6月19日)

 自国語を最も大切にするのはフランス人、と言われます。娘を嫁がせるフランス人の親は「何の財産も持たせてやれませんが、きれいな言葉だけはたっぷり持たせます」と胸を張ります。
 きれいな言葉―みずみずしく、命に満ちた言葉を語れることは何とすばらしいことでしょう。「初めに言があった」とヨハネ福音書の書き出しにあるように、言葉が人生におけるすべての源と言うことができます。
 命に満ちた言葉(命言葉)を語るために、第一に、美 しい命言葉をたくさん知り、豊富にすることです。そのためには、良きものを読んだり、聴いたり、億劫がらずに書き留めたりすることが大切です。
 第二に、それを感じよく、実体ある言葉で話すように心がけることです。声の出し方、言葉の区切り方、声の 大きさ、間の取り方、話す速さ等を心すると、多くのことが思い浮かぶことでしょう。
 気品と命に満ちた言葉を語るため最も大切なことは、「言は神と共にあった」とあるように、語る私たち自身が古い自我やわがまま(罪)に死に、言葉が肉体となられたイエス・キリストを心に迎えて生きることです。その時に、借り物ではない、あなたらしさに満ちた言葉が生まれ、あなたとまわりを潤します。

  援助のマスターキー (6月26日)

 「同情して援助するのに一番やさしいことはお金を出すこと。次には物を出すこと。最もむずかしいことは、労力を提供すること。」と、作家の曽野綾子さんが話しておられます。「何かを差し上げたい」と願いつつも、お金も、物も、労力にも欠けることがあります。
 しかし、人に差し上げる中で最も有効なものは、どんな人にも万能薬となるもの、マスターキーを差し上げることです。
 それは、労力や物、知恵で代えることができません。そのマスターキーとは、すべての物を宝に変えることのできる〈神の力〉を差し上げることです。神様と直結する時、たとえ不十分な土の器であっても、私たちを通し て、人々にこの確かさを提供することができるのです。
 今週も、家庭や職場等、置かれている状況の中で、あなた自身が神の言葉をかみしめながら祈り、神様に住んでいただくことです。無理をしなくても、自ずと、内にあるものが外に出てくるからです。

     「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものを
      あげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩き
     なさい」(使徒行伝 第3章6節)

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