2008年1月の霊想
使 命 (1月6日)
どの程度の力を持っているのか、どのような生き方が向いているのか。自分のことは自分が一番よく知っているようで、なかなかわかりません。どうしてこうも自分を的確に見る目がないのか。おそらく自惚れや野心や見栄などが目を曇らせるのでしょう。
ですから自分で選ぶよりは、人から求められたところに生きる道を選び定めていく方がよいのです。消極的かも知れませんがそうすれば、比較的正確に自分を見ることができましょう。なぜならそれが使命に生きるということであり、目から曇を取り除くのは使命感だからです。
藤木正三(牧師・『灰色の断想』より)
使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれ
が使命を探しているのではない。
ダグ・ハマーショルド
(スエーデンの外交官、元国連事務総長
、ノーベル平和賞受賞)
*共に『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』より
新年も、神様にあって与えられたことができるのです。 |
眠れる命を引き出す (1月13日)
森祐理さんは、子どもの頃から歌が好きで、念願だったNHKの歌のお姉さんになり、ミュージカル『オズの魔法使い』の主役にも決まり、順風満帆な人生を送っていました。
ところが、ある朝、突然声が出なくなり、歌うことも話すこともできなくなりました。すべての仕事を失い、テレビをつけると、自分が出るはずだったミュージカルの主役を友人が笑顔で演じているのが映っていました。
その姿に悔しい思いをしたと言います。その時、初めて自分と向き合い、生きているのではなく生かされていることを実感し、もし、もう一度声をいただけるならば、自分のためではなく、神様のために捧げますと祈られました。
やがて声が回復し、自ら祈ったようにゴスペル歌手としての働きを始められました。現在も、良き伝道をしておられます。
その中の一つに刑務所でのコンサートがあります。ある刑務所では、どんな言葉にも耳を貸そうとしない、どうしようもなかった受刑者が、森さんの歌を聴いて心から感動する姿を見て、所長さんも涙されました。
命ある人は、相手の中にある眠れる命を引き出すことができるのです。 |
天国と地獄 (1月20日)
白隠禅師(はくいんぜんじ・臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧)は、ある時、若い侍から、「地獄はあるか、それともないか」と尋ねられました。
禅師は、「見た目は立派だが、いい歳をしてくだらない質問をする」と罵声を浴びせ続けました。
最初は我慢していた侍も、遂に、耐えきれなくなって刀を抜きました。今や斬りつけようとした時に、禅師は「それが地獄だ」と叫んだのです。
すると、侍は我に返り、「なるほど」とにっこりすると、禅師は「それが天国だ」と答えたのです。
怒ったり、笑ったりと、私たちは、毎日の生活の中で天と地を行ったり来たりします。しかし、上に下にと心騒がせるのではなく、まっすぐに、真理の道に沿って前進する、そのような一週間を送りたいものです。
そのためには、何にも動じない内なる人を確立することです。すなわち、日々のディボーションの中でみ言葉によってエネルギーを得、どのような自分をも丸ごとあるがままを受け入れてくださり、いやし、強め、成長させてくださる主と共に歩むことです。その時に、「いずくにありても、御国の心地」を味わうことができます。
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。」
(ルカ17・21) |
慌てずに (1月27日)
芝刈りを終えたおじいさんが家に帰ると、こちらも川で洗濯を終えたおばあさんが家に帰っていて、「お食事にしましょうか」とおじいさんに聞きました。「くった」と答えたので、「どこかで召し上がってきたのか」と、おばあさんはそそくさと寝てしまいました。慌てたおじいさんがおばあさんを起こすと、おばあさんが「だってあなた、召し上がったとおっしゃったでしょう」と言ったところ、「くった~びれた……。あまりの疲れに、後半を言うのを忘れた」と……。
仙厓和尚は臨済宗の僧で、晩年は、禅の境地を、軽妙で味わい深い書画で、わかりやすく説いたことで知られています。和尚が檀家さんから「一筆揮ごうを」と頼まれました。そこで「ぐるりと家を取り巻く貧乏神」と書きましたから、檀家さんがびっくりして「和尚様、あまりではありませんか」と抗議しました。すると和尚は、「しっかり後半を聞け」と言って「七福神は外に出られず」と付け加えて書き終えたそうです。
どんな時も慌てずに、すべてを包み込む一週間でありたいものです。
どのような状況にあっても、すべて相働きて益としてくださる神様が共におられるのです。その主に信頼して歩んでいきましょう。 |
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