2008年3月の霊想

  栄光から栄光へ  (3月2日)

 朝、あなたは「今日も事故がないように」と祈りますか、「今日も安全運転ができるように」と祈りますか。
マザー・テレサは「戦争反対の集会には出席しません。平和のためにという所に出席します」と語りました。この二つはスタート地点がまったく違います。
 木を見ながら「あの木にぶつからないように」と生きることがよくあります。子どもを外に出す時、「人のお邪魔にならないように」と助言するのか、「人のお役に立つように」と語りかけるのか……。「~しよう」と言うよりも「~しないように」、「明るく生きよう」と言うよりも「暗くならないように」と。どちらを生きているのかすら気がつかないこともあります。
 光を背負って暗闇にいる、と気がついた時、じっと目を凝らすとどこにいるかが見えてきます。そこで少しずつ、時には一気に光の方に向きを変えて歩き始めることは、大変な苦痛とエネルギーを要します。我力ではできませんから、祈りによって力をいただき、「できない」ではなく「できる」という神の言葉を唱え、それを食べ(生活の中で練習)、学習し、学習のレベルから訓練、訓練から鍛練、鍛練から熟練へとレベルを上げていけるのです。

  石叫ぶ  (3月9日)

 比叡山延暦寺の創建をはじめとし、織田信長の安土城、大阪城、江戸城など、代々の仕事を手がけ、現在にもその技術を受け継ぐ粟田純司さんは、先代で、お父様でもあり、石を積ませて『鬼』と言われた人間国宝の粟田万喜三氏の下で修行をしました。
 「最高の出来」と思ってお父さんに見せても、簡単に崩されてしまい、腹の立つやら、幾度も辞めたいと思われました。しっかり学び、研鑽を積み、万全を尽くしても良いものが出来上がらないのです。
 なかなか思うようにいかず悩み続けていた時、遂に、お父さんがその極意を教えてくれました。それは「石と会話をする」こと。
 最初は、「そんなバカな」と思いましたが、石に語りかけると、何かコトンという音のように反応するのに、耳を疑ったと言います。その都度、「おまえはどこに行きたい。どんなふうに置いてもらいたい」と会話を心がけ、やがて、お父さんに勝るとも劣らない名人になられました。
 石もかくあるならば、ましてやあなたも人間関係の中で、あなたと出会う人の話を良く聞きながら……。
 《傾聴》という言葉があなたの実体となる今週であったなら、どんなにすばらしいことでしょう。

  十字架の確かさ  (3月16日)

 心に大きな宿題を託された人たちの中に、リストカットから逃れられない人がいます。
 当教会でも証しをしてくださった福岡の内田尚美さんは、腕のみならず足もカットし、横だけではなく縦にもと、まるで絨毯(じゅうたん)の裏側を見るかのようなすさまじいものでした。しかし、今は、リストカットからすっかり解放され、看護師として有能な働きをなさっておられます。
 彼女のようにリストカットから解放された人たちを見ると、心の悲しみや怒りを、他者にぶつけることができず、自分にぶつけていることがわかります。しかし、その思いの刃を「わたしのもとに来なさい」と言われたイエス様に向けた時、ほとばしり出るイエス様の血を全身に浴び、身も心もいやされていくプロセスを伺います。
その証しは感動に満ちています。
 「リストカットから解放されたもとは何?」とAさんに伺うと、「自分を切るのではなくキリストを切るの。
だから、リストに『キ』をつけること」とユーモアたっぷりに教えてくださいました。
 リストカットからの解放の鍵は、キリストをカットすること。キリストの十字架がいやしの源であることをAさんから聞いた時、十字架の確かさを目の前で見せてもらいました。 

  カ エ ル  (3月23日)

  Aさんは新進気鋭の学者で、将来を期待されていました。順風 満帆と思われたある日、末期ガンと診断されました。奈落の底に 落とされたような気分だったと述懐なさいます。落ち込むAさん ご夫妻を見て、友人のBさんが一本のテープを渡されました。こ のテープをくり返しくり返し聞く中で、失望から立ち上がり、状 況を感謝をもって受け止めるようになりました。
  末期と宣告されてから半年、3年、5年と経ちましたが、7年 目に再発。ご夫妻はすでに覚悟を決めておられましたから、少し も動揺せず、「私たちの国籍は天にある」と、お見舞いの人々を逆 に励ましておられました。奥様がお風呂の介助をしていた時、ご 主人は自分の足を見て「すっかりやせ細ってカエルみたいだ。こ のまま肉体も、アダムのように土で作られたのだから、土にカエ ルのかなあ」と言うと、「あなた、違うわよ。あなたはよみがえる の。新たな姿となって【ヨミガエル】のよ」と背中を流しました。
 するとご主人は「ハレルヤ」と、今まで見たこともない美しい笑 顔で両手を上げられました。その姿は天使のようだった、と奥様 は何度も語られます。平安の内にご主人は天に凱旋なさいました。
  先日、奥様を訪ねると「主人が『ハレルヤ』と天国で私を迎え ている姿をよく夢に見ます」と語られました。見えるものから見 えないものへ目をとめつつ……。

  激しく奪う者  (3月30日)

バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。
(マタイ11・12)

 「右の聖句は、どのような意味ですか」と、人生を豊かに生きたい、成功者になりたいと願う若者から尋ねられたら、あなたはどのように説明なさいますか。
 師匠に付いて修行する弟子にたとえてみます。
 旅を共にし、師匠が重そうにカバンを持っています。
あなたが弟子であれば、どのように対応なさいますか。
「師匠、カバンをお持ちしましょうか」と言う人。「カバンを持たせてください」と言う人。
 すると、師匠は弟子を気遣い、遠慮して、「いや、大丈夫だ、自分で持てるから」と言う時に、「私に持たせてください」と言う人……。
 しかし、最も訓練された、いや、師匠の域に最も近い弟子は、もうすでに師匠の荷物を自らが喜んで持っている人に他なりません。
 天国を「豊かな生き方」と訳すならば、まさに、「激しく奪う者」とは、このような心の姿勢の持ち主に他なりません。
 今週も心して歩んでいきたいものです。

-

© 2024 Yonezawa Kojo Church