2012年2月の霊想
無力な者の祈り (2月5日)
「また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、
人々に譬(たとえ)で教えられた。」(ルカ18・1)
自分の無力さを知った時に初めて生まれる祈りがあります。無力さからうめくように祈るその祈りは、神の心に深く染み入ります。
この祈りは、生まれて間もない赤ちゃんの泣き声のようなものです。母親は、その声から言葉としての意味を見出すことはできません。しかし、赤ちゃんの訴えは痛いほどわかるのです。我が子が何を欲しているのか直感的に察知でき、すぐ満たしてあげようとするのです。
赤ちゃんは、どのような条件を満たせば母親からミルクを飲ませてもらえるか、おむつを取り替えてもらえるか、と考えることはしません。赤ちゃんは全くの無力です。できることはただ泣き声をあげることのみです。それが祈りです。
「常に」「失望せずに」「力強く」などとは到底祈ることのできない自分の無力さの中から、ポタリと一滴、「主よ…」とだけ出た祈りほど、神の心に届くものはありません。無力さの中で思わず出てくる思い、ささやきのようなわずかな言葉、時には言葉にならないうめきや涙さえも、神は「祈り」として受け取って下さいます。 ありのままの姿で、あなたならではの祈りを捧げましょう。 |
この先は自らがつくる (2月12日)
「この先どうなっていくのだろう?」―誰もが思っている問いです。しかし、この問いに明確に答えることのできる人はいません。「この先どうなっていくのだろう?」という問いは、どこか人任せ、受け身的な生き方の反映でもあります。
今、求められているのは、「この先は自らがつくる」という主体的、能動的な生き方です。私たちができることは、日々、自らの最善を考え、選択し、実行するのみです。その積み重ねが、未来を作っていきます。昨日の感謝と今日なす最善が、明日の希望を生みだします。
「神は乗り越えられない試練を与えない」という言葉が、多くの人の心をとらえています。神様は乗り越えられない試練は与えられません。言い換えれば、目の前にある試練は、乗り越えられる試練だからこそあるのです。もちろん一人では乗り越えられない時もあります。しかし、いつも主が共にいてくださることを覚え、祈りつつ力を得て、その試練の岩が未来への敷石になるのです。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。 神は真実である。あなたがたを耐えられないような試 錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、そ れに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるの である。」 (Ⅰコリント10・13) |
いつものように祈る (2月19日)
ダニエルは、……二階のへやの、エルサレムに向かっ て窓の開かれた所で、以前からおこなっていたように、 一日に三度ずつ、ひざをかがめて神の前に祈り、かつ 感謝した。 (ダニエル書6・10)
医学界で『近代外科学の祖』と称えられているアンブロワーズ・パレは、「我包帯す、神、癒し賜う」という言葉を残しました。どのお医者さんもおっしゃいますが、「医師が病気を治すのではなく、患者さんが持っている治ろうとする力(自然治癒力)が引き出されることで癒される」のです。これは神が与えてくださった力です。
命の源である神につながっていれば、命の水が絶え間なく注がれるのです。このつながりを維持することが大事です。罪が入ればその流れは塞がれて止まります。すぐ悔い改めて自分の罪を神の前に告白しましょう。神はこころよく赦され、あなたと神との関係はまた元のようになります。
命の真の支え手である神につながるとは、ダニエルのように神への祈りを捧げ、毎日、自分と神との関係を新たに確認していくことです。日々の祈りがあなたの力となります。
今週も「いつものように、いつもの場所で」祈る日々を積み重ねてまいりましょう。 |
事を成す秘訣 (2月26日)
「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれ、マルチ発想人間としても人気のあった糸川英夫氏は、数え切れないほどの有用な発想を展開しました。
その手の内を著書の中で次のように明かしています。
「まず、第一は問題の発見。ぼんやりと時を過ごすのではなく、何が大切なのか、問題を一つに絞り込む。第二は、それにふさわしい情報をできるだけ多く集め、さらには、人任せにせず、じっくり考え、考え抜くこと。そして、お醤油をおいしくいただくために時を置くように、じっくりと時を置き、ここ一番という時に、捨て身で挑戦してみる。」
このことが、どのような状況にも新鮮な生き方ができるコツである、と伝えています。
状況、環境が問題なのではありません。特に、神を信じるあなたにとっては、我力で事をなすのではなく、まさに、山に向かって目をあげ、「すべては益」と、全能の主のもとでそれを成し遂げていく中に、真の希望があるのです。
今週も、何が大切かを見出し、一つに絞り、祈り、祈り抜くのです。そして、主にあって、その偉大な力にあって強くされ、前進してまいりましょう。 |
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