2012年12月の霊想

  荷物がなければどこもわが家  (12月2日)

小林一茶は「何もないが 心安さよ 涼しさよ」と詠みました。現代の私たちは、あれもこれもとたくさんの物を持ちすぎて、スピードが落ち、感覚が鈍ってきているのではないでしょうか。
 経済のこと、人間関係のこと、健康のこと、そして学びのこと等々、多くのことを担い、目に見える物質だけでなく、心にも様々な宿題・重荷を担いながら歩いていることに気がつかないものです。
 「メタボ」という言葉が定着しましたが、無駄な脂肪が身体に付くと、健康にも様々な影響を及ぼします。同様に、私たちの日々の生活、そして心からも無駄な脂肪分(思い煩いなどの重荷)を削ぎ落とし、心のメタボ対策を心がけたいものです。
 しかし、自分自身ではなかなかできないものです。ですから、この作業を、私たち一人一人を造られた創造主である神様にお願いし(祈り)、重荷を担ってくださるイエス・キリストに託すことです。
 今週も、身を軽くして歩みたいものです。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもと にきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11・28)

  第一とするもの  (12月9日)

  主が家を建てられるのでなければ、   建てる者の勤労はむなしい。(詩篇127・1)
 この聖句は、神を抜きにした人の企ては空しく終わることを言っています。国家的プロジェクトのみならず、個人的な購入やレジャーの計画に至るまで、そのスタートに神の御心が据えられていなければ空しく終わる、という意味です。
 何を始めるにせよ、神の御心を求め、神が願っておられることを第一にしていくことが、あなたの労苦を無駄に終わらせず、豊かな収穫を得ていく秘訣です。  Aさんは家を建てる時、「この家にたくさんの人が来られ、神の愛に触れることができるように」と考えて設計されました。Bさんは車を購入する時に、「多くの人を教会にお運びすることができるように」と車種を絞りました。
 その後、この方々が順風満帆の人生を送ったかというとそうでもありません。やはり様々なご苦労を通られました。しかし、神を第一として生きた時、「何を目的としてこのことをするのか」という人生の理念が形成されました。ですから、様々な困難に出会っても、第一の目的が達成されていれば、そこに充実感があり、「やってよかった」という思いが残るのです。
 神の御心に土台を据えて歩んでまいりましょう。

  とらわれない生き方  (12月16日)

 人間には基本的に『財、色、飲食、名誉、睡眠』など、五欲があると言われます。これらの欲が、成長と共に程よい程度になっていくことは健康なしるしです。
 しかし、欲が突っ張り、量的に「もっと、もっと」と限度がなくなると、聖書は「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。」(ヤコブ1・15)と告げます。これは、肉体的な死ばかりでなく、精神的・霊的な死をも意味します。
 それに反して、神と共に歩む人生は、どのような状況にあっても足ることを知り、今を感謝しているので、生き生きとしています。さらに、試練の時にも輝いて生きることができるのです。
 この域に、我力では達することはできません。ただ、私たちの罪のために身代わりとなって死んでくださったイエス・キリストを信じる信仰によってのみ、誰もが、どこにいても、いつでも獲得できる確かな世界です。
 欲にとらわれるのではなく、自制しつつ、神の栄光のためにすべてのものを用いていくことが肝要です。私にはできなくても、私たちに力を与えてくださるイエス・キリストにあって、必ず用いていくことができます。
 今週も、イエス・キリストと共に今を感謝しつつ歩んでいきましょう。

  その聖なる日に銃声はやんだ  (12月23日)

  
  1914年、第一次大戦下に起きた出来事は、映画化もされ、多くの人に感動を与え、クリスマスの歴史から消えることのないプレゼントとして知られています。
  フランス・スコットランド連合軍とドイツ軍が、連日、壮絶な戦いを続けていたフランス北部の村での出来事です。12月、クリスマスだけは家族のもとに帰りたい、と兵士の誰もが思っている最中、その思いとは裏腹に戦況はますます厳しくなっていました。
  クリスマスの日、ドイツ軍の慰問に訪れた歌手が、美しいテノールで賛美歌を歌いました。その歌声は100メートル先の敵国の塹壕(ざんごう)にまで届き、聖なる調べは敵・味方を越え、感動をもたらしました。そこに銃声はなく、クリスマスを讃える賛美だけが響いていました。映画で、多くの人が繰り返し見る箇所は、突き刺すような寒さの中、両軍の『きよしこの夜』の合唱がこだまする場面です。まさに「地に平和」が実現されたひとときでした。
  私たちも、日々の生活で様々な戦場に遭遇します。難しい人間関係や、相対(あいたい)する矛盾、理不尽な出来事等々。しかし、相対(あいたい)するものを一つとするために、キリストはこの地上に来られました。
 この出来事-クリスマス-は、あなたにも、あなたならではの人生に奇跡をもたらす、神様からの最大の贈り物です。

  パラダイス  (12月30日)

  
「また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって 下さるであろう。」(黙示録7・17)
 この地上に生きている間、涙を流す時が止むことはありません。悲しみの涙、後悔の涙、絶望の涙……。しかし、この涙を神様はことごとくぬぐいとってくださると約束なさっています。
 完全に涙がぬぐい去られる時とは、私たちが天に迎えられる時です。天国では神が人と共におられ、悲しみや憂いはすべてなくなるのです。
 パラダイス(天国)の語源は、古代ペルシャ語から来ています。ペルシャの王様は、年に一度、手柄を立てた兵士たちを特別に表彰し、褒美を取らせました。数々の素晴らしい賞品を受け取る兵士たちの中で、ナンバー1の兵士に与えられる褒美とはいったい何だったのでしょう?それは豪華な賞品でも莫大な賞金でもありませんでした。1等の褒美は、「王様と一緒に二人だけで王宮の庭を散歩する権利」でした。王様との時間を、誰の邪魔も入らずに独り占めできる。至高のひととき、至福の時間。この庭の名前が「パラダイス」だったのです。
 神と共にある時、私たちもパラダイスを体験しています。涙の時こそ、神を待ち望み、共にいてくださる方の臨在を求めましょう。その時、私たちの涙はそっとぬぐわれているのです。

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