2018年2月の霊想
おもてなしの心(2月4日)
東京都内のあるホテルが、昨年10月から自立走行型ロボットを導入しました。フロントから客室まで荷物を運ぶためで、重さ4.5キロまで運ぶことができます。このように、最近、人に代わってロボットを活用する所が多くなりました。機能性、利便性、効率を追い求めて機械化が進み、あと3年で人の仕事の半分がロボット化されると言われています。
「おもてなし」を英語で「ホスピタリティー」と言い、元々は「巡礼者への無償の心遣い」を意味しました。相手を思いやり、手を差し伸べ、物事を成し遂げることを表しています。思いやりこそが、どんなに文明が進んだとしても、人々が求めているものです。
ある時、イエスは、旧約聖書を良く知る律法学者から「どのことばが最も大切ですか」と尋ねられました。すると「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」。それに続いて、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」と言われました。(ルカ10・27)
神から大切にされた経験を持つ人が、隣人を心から大切にできる人です。あなたが出会うすべての人があなたの隣人です。神からのおもてなしの心で接していきましょう。
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自分の道を一歩ずつ(2月11日)
人生は、まさに山道を歩くことです。平坦な道だけではなく、でこぼこあり、上りがあり下りもあります。どんな人生の山道も、一歩一歩進み続けて山頂に到達できます。
1975年、登山家の田部井淳子さんは、世界最高峰エベレストに女性として初登頂しました。彼女は、「一歩一歩登っていけばかならず目的地に着く」と力強く語られました。田部井さんはがんになり、治療を受け続け、さらに、脳腫瘍と診断されました。「病気になっても病人にならない」と語り、召される3ヵ月前も、自分のペースで山を登り続けました。
あなたにはあなただけの登るべき人生の山があります。その山を登りきる秘訣は、いつも共にいてくださる神様にいっさいをおゆだねすることです。ゆだねるとは、たとえば、治療のことで主治医に「お任せします。おゆだねします」と言うことは、あなたが主治医に忠実に従うことを意味します。そのように、神様があなたに語っておられる言葉に聞き従い、今週も、与えられた人生の山を一歩一歩登っていきましょう。
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこ から来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた 主から来る。」(詩篇121・1~2)
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誰にスポットライトを当てるか(2月18日)
「あの人と話すと、すばらしい人だなと感心する」。あなたの知り合いにもそのような方がいらっしゃるでしょう。さらに「あの人と話すと、私自身がすばらしい人間だと思えてくる」と言う人もいます。
パウロは「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」(ピリピ2・3)と言いました。実りある人間関係の条件は、自分ではなく、目の前の人にスポットライトを当てることです。
ジョン・C・マックスウェル牧師は多くの大統領を指導し、大企業トップのメンターとして活躍しています。彼がリーダーたちに問い続けてきた質問があります。「あなたは自分の存在価値を高めようとしていますか?それとも、他者の存在価値を高めようとしていますか?」
成功しているリーダーは例外なく後者です。
キリストは十字架にかかり、ご自分の命を代価にあなたをあがなってくださいました。あなたが高価で尊い理由はここにあります。十字架は「あなたは高価で尊い」とあなたに語り続けています。最初にキリストが十字架の死までへりくだって、あなたにスポットライトを当ててくださいました。今度はあなたの番です。あなたは誰にスポットライトを当てますか?
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感じ取る生き方(2月25日)
「人生で一番大切なものは何か」と問われたら、あなたは何と答えますか。「命が一番大事」と答える方が多くいらっしゃいます。
今年5月の星野富弘氏詩画展に、今から多くの方が期待しておられます。代表的な詩の一つに、「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」があります。教科書でも紹介されるこの詩に対し、「大切なものとは何ですか」との質問を星野氏は受けられるそうです。その度に、即答せず「何かをよく考えてください」とお返事なさるそうです。
安易に正解を求めるのではなく、じっくりと考えてみることが最も大切です。なぜなら、知識としての正解・正論は、時に役に立たないからです。説明ではなく、あなたが試練の日にもほほえみ、困難な時も感謝する、その歩みから人々は答えを知るのではなく、感じ取っていくのです。
星野さんは、命よりも大切なことは、いのちをくださった神様と出会うことであると彼自身の「生き方」で証ししておられます。
あなたのさり気ない言動を通し、隣り人が神様と出会う良き機会となりますように。
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