2019年3月の霊想
大丈夫はあなたから(3月3日)
米沢興譲教会の合い言葉は、ローマ8・28から、「どんな時も大丈夫」です。問題や試練に出会った時、祈り考える時、また、他者から相談を受けた時など、まず第一声は「それはすばらしい」で、ここから始まります。
Aさんは「そのことが少しずつ身についてきた」と、魅力ある笑顔を振りまかれます。下り坂に見えるところにあっても、心はいつも大丈夫に支えられる生き方は何とすばらしいことでしょう。
アメリカの詩人ホイットマンの詩です。
「女あり 二人ゆく
若きはうるわし
老いたるは なおうるわし」
「うるわし」と表現されている言葉から、美しさ、内面からにじみ出てくる音色や香りが感じられます。年令を重ねても、「外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」(Ⅱコリント4・16)のみ言葉を味わい、生活の中で生かす時、すべてのことに大丈夫、すなわち、「すべてのこと相働きて益となる」が、日々、実を結びます。
今週も、それを自らが味わうだけでなく、他の人にお分かちできる一週間としましょう。
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祝福の一歩を踏みだす(3月10日)
まだ海外旅行が一般的でなかった時代、日本人の目を海外に向けさせたのは、旅行ジャーナリストの兼高かおるさんでした。長寿テレビ番組『兼高かおる世界の旅』は、自ら企画、出演し、31年間に約150か国を訪問。海外への観光渡航が自由化される前の日本人に夢を与えました。
どの時代でも、だれにでも、新しく広がる世界や夢は無限にあるものです。あなたには、残されたこれからの人生に、どのような新しい世界と夢がありますか。
信仰の父と呼ばれたアブラハムは「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」(ヘブル11・8)と語られています。
あなたにとっての夢は、実際に海外に出かけ、観て学ぶことかもしれませんし、あるいは、新しい分野にチャレンジすることかもしれません。どのようなことでも、アブラハムのように神様に示されたところに向けて一歩踏み出すことが、新しい世界や夢に身を置く道です。
今週も、神の言葉に聞き、受け継ぐべき神の祝福を確信し、一歩踏み出しましょう。それが、あなたに与えられている神からの贈り物です。
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新・3K(3月17日)
3K(きつい・汚い・危険)という言葉がありますが、豊かな生き方の3Kもあります。その一つは、感謝・工夫・希望で、味わい深いものがあります。
感謝(Kansha)
「絶えず祈り、すべてのことに感謝しなさい」のみ言葉が生活の中で根を下ろす時、喜びをありがたいと思うレベルから、どう見ても感謝できない状況のただ中で、天の窓から状況を見、考える時に喜びがにじみ出てくるのはクリスチャンの特権です。
工夫(Kufu)
恵みは確かに「棚からぼた餅」の要素がありますが、どこから落ちてくるかをしっかり見極め、そこに全力疾走するのも、人生の醍醐味です。そのためには、工夫し、検証し、進化させることを日常のサイクルとして機能させていくことです。あなたは、今、どのようなことに挑戦し、工夫、改良を試みていらっしゃいますか。
希望(Kibo)
「希望は失望に終わらない」のみ言葉に支えられ、聖霊様に満たされ、感謝し、工夫をしていく時、すべてのことが相働いて益となる体験をします。生活のすべてのことが神様のために用いられることを日々見いだし、実践できるのがクリスチャン生涯の特権です。
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未来は、今、作られる(3月24日)
今、あなたが成長を心がけているのはどのようなことですか。身近な人間関係、あるいは、今与えられている仕事の改善かもしれません。今まで何度か試みるものの、あまりその成果を感じられないとしたら、実は、原因がもっと先にあるのかもしれません。
「森は海の恋人」とのスローガンをもとに、牡蠣養殖を再始動したのは宮城県気仙沼市のグループです。きっかけは、良い牡蠣養殖ができなくなり、悩んだ末、気仙沼湾に流れている大川の源流をたどったことでした。湾から見える室根山は雑木が減り、間伐されない杉林の枝と枝がぶつかり、暗くなっていました。当然、下草が生えないため土がむきだしになり、大雨で表土は崩れ、川も海も茶褐色になり、牡蠣に影響を与えていました。
その対策として、山に植林を始めました。すると、以前のような大きく立派な牡蠣を収穫することができたのです。
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこ から来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた 主から来る。」(詩篇121・1~2)
目の前の事だけを変えようとするよりも、そのずっと先にある大きな原因にこそ、改善と成長の秘訣があります。成長は、信仰の目を上げ、全知全能の神に聞くことから始まります。
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無尽蔵の宝(3月31日)
地球には、陸地の何倍、何十倍という資源が海底にあると言われています。同じように、あなた自身の宝も、あなたの内に無尽蔵にあるのをご存じですか。
「自分には弱さしかない」とおっしゃるなら、その弱さこそあなたの宝です。弱さとは、悲しみ、不安、孤独感等です。私たちは、これらを心という海の深いところにしまい込み、蓋をします。すると、あなたと同じような弱さを身近な人に見ると、なかなかそれを受け入れることができません。その人にイライラしたり、無理に勇気づけようとし、結果的に相手も自分も傷つき、相手に共感できません。
使徒パウロも同じように深く思い悩みました。しかし、自分に不必要と思うものが、実は宝であることを悟ったのです(Ⅱコリント12・9)。あなたの願望や時代の価値観をものさしにするのではなく、あなたの心の内を正直に「自分はこのような者である」「このような弱さと思い悩みがある」と神様に語ってください。聖霊様が、「それでいい。弱い時にこそ強い。弱さの中にこそ私が共にいる」と語られます。祈りの中でこの声を聞き、聖霊様を心に迎え入れるのです。
今週も、日々のディボーションでこの無尽蔵の宝を見いだし、その豊かさを味わいましょう。
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