静寂を待つ(6月5日)羽生善治棋士が七冠を誇る絶頂期にあった時のエピソードです。 竜王戦第六局の時、開始の合図があったにもかかわらず、先手の羽生棋士が、なかなか第一手を指しません。目を閉じ、考え込んでいる風情のまま数分が過ぎました。別室の観戦者がざわめき始めた時、羽生棋士はようやく目を開き、第一手を指しました。 この対局はテレビ中継され、この印象的な場面が話題となりました。後日、羽生棋士に「あの時、迷いが出たのですか」と質問した方がいました。人は自分のいる位置から質問をするものです。羽生棋士は答えました。「そうではありません。静寂がやって来るのを待っていたのです」。 静寂は、人生のどの場面、どの状況でも大切な要素の一つです。あなたは、ご自分の内に静寂を得るためにどのようにしておられますか。 「今、ここにいる自分」を静かに見つめる人、み言葉を思いめぐらす人、聖霊の宮である自分の内に聖霊が満ちていることに感謝する人など様々でしょう。どのような状況にあっても、あなたならではの静寂の時をしっかりと見いだしていきましょう。 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10) |
今日が最後の瞬間(6月12日)カリフォルニア大学のソニア教授が提唱する「豊かな人生の鍵」は、実践者によって効果が証明されています。 「わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。」(マタイ7:24~25) |
究極の幸せとは(6月19日)世界幸福度調査で、いつも上位に名を連ねるのがデンマークです。デンマークの福祉レベルの高さもさることながら、その鍵は「ヒュッゲ」と呼ばれる生活習慣です。これはデンマーク語で、「居心地の良い空間に満足感を感じること」や、「小さなことに幸せを感じること」で、デンマークの人々の心の持ち方を指す言葉です。 「ヒュッゲ」から、不足感を補うために求めるのではなく、今与えられているものに感謝することが「究極の幸せ」であると教えられます。 「自分の持っているもので満足しなさい。」(ヘブル13:5) もちろん、若い時には、必要と思うものを求める人生で土台を作ることも大切です。しかし、人生の後半は、感謝人生を生きることです。与えられている人生の充実感とみ言葉の確かさを土台とし、どのような状況にあっても、感謝して生きるのです。そのようなあなたの生き方が、人々への良きモデルとなり、希望の存在となるのです。 「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」 今週も、感謝の人生を歩んでまいりましょう。 |
天に宝を(6月26日)宝がそこにあるのに気づかず、蹴散らして通り過ぎる人もいれば、わずかなチャンスを宝に変える人もいます。あなたは神様から与えられた宝をどのように扱っておられますか。 イエス様は「自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」(マタイ6:20)と言っておられます。天に宝をたくわえるとは、「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」(マタイ6:3)とあるように、善行をしても、決して自慢しない生き方をせよ、ということです。物やお金や時間等の神様から与えられた宝を、自分のためではなく他者のために使うことこそ、その宝を生かす生き方なのです。 Aさんは、「いつも自分の欲と戦い、御心にかなう思いで語り、行動することを心がけている」とおっしゃいました。Bさんは、「欲を忘れるほど、確かな価値あるものに心を注いでいます。夢中なものがあると食べることを忘れる、あの体験です。そのために、折々にイエス様ならどのようになさっただろうかと祈り、天来の知恵をいただきつつ歩んでいます」とおっしゃいます。 今週も、主との交わりの中で歩み、あなたならではの、天に宝をたくわえる生き方を進めてまいりましょう。 |
2022年6月の霊想