2022年9月の霊想

たった一字の違い(9月4日)

叱られたり非難されたりすると、つい自分の存在までも否定されたように思う方がいます。戦国時代、織田信⾧に対する明智光秀の謀反の原因という説を思い起こします。

あなたは、家族や親しい仲間がミスをした時、どのように対応なさいますか。たとえば、子どもが遊んでいて障子を破ってしまったとします。その時、「障子を破ったな」と叱るのか、「障子が破れたね。破れた所に紙を張ってくれるとありがたいな」と言うのか…。

「を」と「が」のたった一字の違いですが、続く文章の雰囲気がガラリと変わってしまいます。

神と共に生きると、自らの存在があたためられ、ゆるされていますから、さり気ない、あたたかい、ゆるしの「一文字」が聖霊様によって示されます。

今週のあなたの語る言葉がゆるしに満ちた、あたたかい天国語であることは何とすばらしいことでしょう。

悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って、聞いている者の益になるようにしなさい。(エペソ4:29)

あなたの依存先(9月11日)

「這(は)えば立て、立てば歩めの親心」という言葉が示すように、親は子の成⾧を望み、自立を喜びます。「自立」の反対語は「依存」です。私たちは、「自立は善で依存は悪」という単純な二元論に陥りやすいものです。しかし、神にあって相反するものすべて「御手の中」という一元の生き方をすると、自立も依存も共に生かされ、神が本来意図したとおりの命の輝きを発揮します。

人は、互いに助け合うことで依存して生きる存在です。引き算、割り算的依存ではなく、足し算、かけ算になる相互依存が大切です。

特に、依存先を一つに決めないで、たくさんの依存のポケットを持つことが賢い生き方です。一つだけに、しかも不健全なものに依存すると、「依存症」という世界に陥ります。専門のお医者さんは、「依存症」の患者さんに、健全な依存先を増やすようにとアドバイスなさいます。ですから、友人とお話しする、散歩する、趣味に打ち込む等のことを勧められるのです。

信仰者にとっては、聖書を読む、祈る、賛美する、黙想することを通して、神に依存することです。すると、どのような状況でも「大丈夫」と恵みの中を生き、試練のただ中にあっても天の窓を通して自分の位置を確認できる自立した人生が始まります。今週もプラスの相互依存先を、祈りつつ、しっかり開拓していきましょう。

ひと言の力(9月18日)

言い方一つで大きな違いが生じるのは、なぜでしょうか。

おばあちゃんは、ケガをしたこともあり、外出をおっくうがるようになりました。「家にこもってばかりいないで、散歩した方がいいよ」など、周囲の者が気づかって様々なことをあの手この手で語りますが、おばあちゃんは耳を傾けようとしません。

ところが、小学校6年生のお孫さんが、「散歩しようよ。私、おばあちゃんと一緒に散歩したい」と言うと、おばあちゃんは、すぐに外出されたのです。そして、出会う人に「いやいや、孫にせがまれて、散歩しています」と、生き生きした表情で話されたそうです。「体にいいから散歩しなさい」「足腰が弱るよ」「散歩に連れて行ってあげようか」等と比べて、お孫さんのひと言は、なぜ、おばあちゃんに行動を促したのでしょう。

ここからは、あなたがじっくりと考え、あなたの心のノートにぜひお書きになり、互いに分かち合ってみてください。あなたのさり気ないひと言に、さらに、ぬくもりと深みが増していきますから・・・。

「それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう」(出エジプト記 4:12)

本物人生の使者(9月25日)

毎日、ご相談を受けます。ご主人のこと、お孫さんのこと、経済のこと、健康のこと……。いかにご自分が大変な状況にあるかを、切々と語られます。そのような状況をしっかりお伺いしながら、お一人びとりが神様から答えをいただき、その人ならではの解決を見いだされていく姿を見せていただけることは、すばらしい体験です。

時には、とんでもない状況や人が、実は、天国からの使者であることを見いだす方も少なくありません。

「牛に引かれて善光寺参り」という言葉をご存じでしょう。干していた布を牛が角に引っかけ、逃げていくのを追って、とうとう信濃の善光寺まで行った強欲なおばあさんの話です。善光寺に逃げ込んだ牛の姿は忽然と消え、本堂に牛のよだれで「牛があなたの心を仏の道へと導いてくれたのです」と書かれており、おばあさんは今までの行いを悔い、信仰心が芽生えたというお話です。

神様は、人や出来事などを通して、あなたが本心に立ち返り、揺るぎない本物人生を生きるようにと願い、とりなしておられるのです。

さて、あなたにとって「牛」とは何ですか?あるいは、誰ですか?「このことさえなければ」という悲しみの思いから、「このことがあったことで本物人生に出会えた」と、方向が変えられるのが人生の醍醐味です。

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