主はわたしに答えられる(7月7日)トンネルに入ると一挙に暗くなります。なぜ恐くないのでしょう?出口があるとわかっているからです。悩みのトンネルも同じです。「主はわたしに答えられる」という出口があるのを知っているので、笑顔でその中を通っていくことが出来るのです。 詩篇120篇の最初の一行は希望に満ちあふれていますが、それ以下の節では問題山積の状況が描かれています。現実はどこから手を付けていいのかわからないほど混乱しているのに、「わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる」(詩篇120:1)と言えるのは、「この先には最善となっている未来があるのだ」という信仰の真理をつかんでいるからです。 ただし、人間の描くシナリオと神の御計画は違います。祈っていても、思い描いた通りに事は進みません。するとサタンがやって来て、「神は約束を果たしていないぞ。だまされているのではないか」と、人間の心に「疑い」というものを残して去っていきます。ここが勝負の勘所です。サタンの惑わしに乗らず、悩みと障害物をあえて残していることが神の御心であり、そこを通されることによって、自分では想像もつかない未来を与えてくださるのだと神を信頼して進むのです。 トンネルには出口があるのが当たり前、と思いを新たにし、今週も一歩ずつ進んで行きましょう。 |
真の継続(7月14日)限界にチャレンジし、それを乗り越えた時、神に栄光を帰すか、神抜きで自分の可能性に酔いしれるかでその後の展開は違ってきます。 両方とも次の限界に出会い、どこかで断念せざるを得ない時を迎えますが、前者は早めに撤退できます。飛行機にたとえれば、離陸直後に異常に気づき、元の空港に戻って無事着陸するようなものです。しかし、後者は頑張り過ぎるほど頑張っている自分を知りません。「何かおかしい」と気づきながらも異常音を無視して飛び続けるので、良くて胴体着陸。悪ければ墜落です。 真の継続は、やめた後にまた始めることです。ポイントは、その際に必ずイエス・キリストの助けを求めることです。なぜなら、立ち上がらせてくださるのはイエス様だからです。 「この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりする」(ルカ2:34)。 「立ちあがる」という語には「復活」という意味もあります。死から復活したキリストだからこそ、死んだ状態になっているあなたでも、もう一度よみがえらせ、また始めさせる力を持っておられるのです。この方が伸ばした手によりすがり、もう一度立たせていただく。これが本当の継続です。 キリストの力によって生きる人生を続けて参りましょう。 |
20点のわたし(7月21日)敬虔な信仰は生活に現れます。神学的な難しい議論はよく分からなくても、その人が実際に行っている生活を見れば、その人が信じていることがよく分かるということです。 ただし、神とのベルトがかかっていない状態でこれをやると、ガンバリズムになります。調子のいい時は「助けてあげよう」と困っている人を探しますが、自分の調子が悪い時は困った人を見つけないように避けます。他者を愛せる自分だけを認め、嫌いな人がいるという自分を抑圧して出てこないようにするので、いつしか人と会うことに息苦しさを覚え出します。そして、「今日の自分は大丈夫か?」とチェックしないではいられない毎日を送ります。我力でやると、こういう事態になるのです。 背の低いザアカイが木の上に登った時、イエス様は「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」(ルカ19:5)と言われました。イエス・キリストは80点のあなたではなく、20点のあなたと会おうとしているのです。なぜなら、それが本物のあなただからです。もう一度木に登りたくなる衝動を抑え今度は地面の上にしっかりと足を据える生活を始めてみましょう。 この自分で良いとされている平安を味わい、その平安を体の隅々にまで広げる今週としてまいりましょう。 |
心に留める(7月28日)預言者ダニエルは夢の解き明かしの名人でしたが、第7章では海から現れた4つの獣の夢の意味がわかりませんでした。彼は、わからないながらも、「しかし、わたしはこの事を心に留めた」(ダニエル7:28)とあります。聖書にはたくさんの難解な部分があります。わからない箇所に出会ったら、わからない自分を責めないようにしましょう。ダニエルでもわからないことがあったのですから。 そのような時は、「やがてわかる時が来るだろう。しかし今、神様は私には知らせない方針なのだ」と考えてみることです。安易な解釈で流してしまうのではなく、喉に引っかかった魚の骨のように、そのままにしておきます。すると、何年後かにその引っかかりがあるので、聖書の箇所を思い出し、「なるほど、こういうことだったのか」と納得できる時がやって来ます。わからなかったおかげで、時をかけて考えることができ、人生の体験が積み重ねられ、最も良い対応ができる時に、神様はその意味を明らかにしてくださるのです。喉に引っかかった魚の骨は、収穫を得る時までそこに存在し、やがて神の使命が終わった時に流れ去ります。 人間の視点からでなく、神の視点から物事を見ること。御言葉が開ける時に備えて、聖書を通して与えられる神の言葉を心に留める今週として参りましょう。 |
2024年7月の霊想