水、という言葉から、あなたはどのようなことを思い起こしますか。人間は、食べなくても生きることができますが、水は欠かすことができません。水は大きな船を運び、どんな器にもピタリと合い、水力発電のように、多大なエネルギーをもたらします。
イエス・キリストは、ご自分のことを「命の水(ヨハネ4・14)」と言われました。あなたは、毎日の生活の中で、キリストにある命の水の恩恵をどのように受けていらっしゃいますか。
心は、手入れをしているつもりでも、世の出来事でつい濁ってしまいます。毎日のディボーションを通して濁りを取り除き、しっかりと未来を見ることができることは、何とすばらしいことでしょう。
あなたの潤いは、どのような水を飲んでいるかによっても計られます。水道水は、夏は生ぬるく、冬は手が切れるような冷たさを感じます。それに引き替え、井戸水は、夏は冷たく、冬はあたたかく感じます。これは、井戸水が一定の温度を保っているからです。あなたの心が潤っているのは、いつも、変わらないキリストの命で満ちているからです。
生活に感動が欠ける時は、命の水ではなく、この世の水を飲んでいることに気づき、悔い改め、確かな方と共に歩みましょう。